「CP#09」 もうすぐ夜が明ける。昨夜から降りだした雨の勢いは、真夜中の一時期に比べれば衰えたようだが、まだ シトシトと外を濡らしていた。 窓枠に凭れてそんな外の様子をぼんやりと眺めているうちに、八神はようやく眠気を覚えてその場を離れた。 ベッドに身を横たえ、深く寝入ろうと目を閉じた矢先、ドアチャイムが非常識なほど矢継ぎ早に鳴りだす。 耳元近くでないのが救いだが、うっとおしいことに変わりはない。しかし、訪れる時間帯もチャイムの 鳴らし方にしても非常識な訪問者に応じてやる気もなくて、八神は「出直して来い」とばかりに無視を 決め込んだ。が、訪問者に諦める気配はまったくないらしい。とにかく出てくるまでチャイムを鳴らし 続けるぞ、という気概を感じさせる押し様だった。 「………」 根負けしたのは八神。 「やかましい。今開けてやる」と言っているのにまだチャイムが鳴り続く。一瞬苛立ち、荒々しくドア を開け放つと、訪問者は見越していたかのように、ドアにぶつからない位置までちゃっかり下がって 立っていた。 「二階堂か。こんな時間に何の用……おい?」 八神の問いかけが途中にもかかわらず、二階堂は真剣な顔で「おまえに聞きたいことがある」と言って 有無を言わさずに室内に上がり込む。 過去に何度かこの部屋を訪れたことのある二階堂は、慣れた足取りでリビングまでくると、黙って後ろ をついてきた八神に向き直り、こう切り出した。 「八神。おまえ、京ちゃんにナニかした?」 「……こんな時間に押しかけて来て何事かと思えば…。京がどうかしたのか?」 「どうもこうも…。昨夜さ、京ちゃんの携帯電話にメール送ったんだ。オフィスに顔出す前に、八神ん ところにアンヘル社用のネガ取りに寄ってもらおうと思ってな。そうしたらしばらくして、京ちゃんから 「突然で申し訳ないけど、仕事を辞めさせてもらうことにしました。八神のところへも行けません。 今までお世話になりました。ちゃんと挨拶に伺えなくてすいません」ってメールが返ってきた」 「!?」 「その後はいくらメール送っても電話しても応えてくれない状態。しまいにゃ電源切っちまったみたいだ」 「京から、辞めると…?」 「ああ。でも京ちゃん本人の口から直接理由を聞かないことには納得いかないからね。だからあとで京 ちゃんのアパートメントに寄ってみる。そのまえに、おまえにも話聞いておかないとな」 「?」 「だって八神は仮にも京ちゃんの身元保証人、っていうか、京ちゃんが八神のところへも行けないっての が、すっごく気になるんだよ。なぁ、京ちゃんを押し倒したりとか、した?」 「………いいや」 否定しながらも横を向いて何事か考えている八神に、二階堂は案外自分の予想がはずれていないことを 感じて、ウムムと眉間に皺を寄せたまま目を瞑り、額に片手をあてて溜め息をついた。 「ふーん? 心当たりがまったくない、ってワケじゃなさそうじゃん」 「心当たりがないといえばたしかに嘘になるかもしれんが…あれはもう…」 この男にしては語調が弱い。 「オイオイ…おい! おれには人でなしにはなるなよ、とか言ってたくせに。…ンで? どんなことを いたしちゃったのかなぁ〜?」 二階堂がシリアスな表情を緩ませる。関心の高さをあらしているように瞳はキラキラ、その声にはどこか ウキウキとしたニュアンス。それを見た八神は片眉をわずかにピクリとさせて二階堂を睨みかけたが、 ふと思い出したように、ソファーに投げ出してあった携帯電話を掴み見た。 「これか」 「なんだよ、八神? あ! 京ちゃんからメールがきてるのか?」 二階堂の声にはこたえず、八神は京から届いていた未開封のメールに気づき、開いて内容に視線を走らせた。 『突然で申し訳ないけど私事で仕事を辞めさせてもらうことにした。このことは二階堂さんにもメールで 伝えてあるから。メールだけですまそうなんて失礼なことだと分かってるけど、どうか許してほしい。 八神にはいろいろと助けてもらって感謝してる。八神のことは忘れない。でももう会わない。 また会いに行くってメールを送ったのに、ごめん。どうか元気で。 ― 京 』 「…どういうことだ?」 「京ちゃん、なんて書いてきてるんだ?」 「………」 「おい八神、聞いてんのか? おれにも見せてくれ。……ったく」 携帯電話の画面を見つめたまま微動だにしない八神に焦れて、二階堂が画面を覗きこもうとすると、 その携帯が鳴った。 「!」 「ああびっくりした! なんだよ、八神。電話か? メールのほうか?」 「メールだ。…しかも京から」 「!」 『ひとつ言い忘れた。もし、蒼司さんがおれの事で連絡をとってくるようなことがあっても 「もう会わない。仕事も辞める」っていうメールがきただけだって、言うだけにしてくれ。それ以上 あの人の言うことに取り合わないでほしい。』 「…………」 「取り合わないでほしい、か…。穏やかじゃないねぇ。それに蒼司さんってさ、京ちゃんと同居してる あの従兄弟のことだろ? 喧嘩でもしたのかな?」 八神の脇からメール文を覗き見た二階堂が、首をかしげた。 「さぁな。しかし、喧嘩したにしても…妙だな」 「たしかに気になるね〜。京ちゃん、もしかして家出でもしたんじゃないか?」 八神が無表情のまま二階堂を見た。そして素早く携帯電話のボタンを押して耳にあてる。 かけた先は聞くまでもなく京の携帯電話に、だろう。 二階堂はじっと耳をすましていたが、八神が携帯電話を持つ腕を下ろしたことで僅かな期待を諦めた。 「二階堂、京のアパートへはオレも行く」 「え、今から?」 「着く頃には夜も明けている。かまわんだろう」 「いいのか? 京ちゃんはおまえにあの従兄弟と関わってほしくないって、わざわざ言ってきたのに」 にわかに動き出し、クローゼットを開けてレザーの黒ジャケットを手にとって玄関に向かう八神の背 中へ慌てて二階堂が声をかける。と、八神が肩越しに二階堂を振り返った。 「まずは京が本当にあのアパートにいないのか確かめる。部下思いの上司も一緒にいることだし、 心配はいらんだろう?」 「ああーなるほどー。んじゃ、ま、行くとするか」 ニヤリと笑む八神に、二階堂も苦笑を返して後に続いた。 雨にけぶるアパートメントはいつになく陰鬱な雰囲気を漂わせていた。 京が住んでいる部屋は、何度チャイムを押しても中から応えがなかった。しかし、ドアノブに触れてみれ ばカギは開いていて…。それに気づいた八神が躊躇なく、足音もたてずに室内へ足を踏み入れたことを 止めなかったのは、上司として如何なもんだろう? いや、なんとなく異様な雰囲気を感じ取り、部下の 安否を確かめる為だったのだ…などと、二階堂がもし、例の従兄弟と鉢合わせした場合の「言い訳」を胸 のウチで自問自答しているところへ八神が戻ってきた。 「おい、長かったな。こっちは気が気じゃないってーのに」 声を極力ひそめて、二階堂が声をかける。 「やはり京も、あの従兄弟もいないようだ」 「…そっか。しっかし無用心だな〜。京ちゃんは家出したとして、従兄弟殿までカギ開けっ放しにして、 どこ行っちまってるんだか」 「……………」 「八神? どうした?」 「―いや、べつに」 「?」 「とにかくこれで、京がここにいないのはわかった。これ以上の長居は無用だな」 「でもどうしたもんかな。京ちゃんがその気になってくれないと。こっちからは連絡のとりようがない」 「諦めるのはまだ早いだろう。とりあえず二階堂にはオレの分まで仕事を頼もう。オレはおまえにネガを 渡したら京を探す」 「…ふぅーん」 「なんだ。そのニヤけた顔は」 「フフ〜ン? ホント、おまえって京ちゃんにはお熱くなれるんだなぁ、と思ってさ。…しょうがない。 おれが過労死する前に、絶対京ちゃんを見つけて連れてくるんだぞ。これ、上司命令ね」 「ああ」 二階堂を先に出し、八神は今一度、薄暗い室内を見やる。 湿気に混じり、かすかに錆びついたような臭気を嗅いだ気がした。 「八神?」 「…ああ。今行く」 二階堂の声に急かされるように、八神は廊下に出ると、黒皮の手袋をした手でそっとドアを閉じた。 その頃、京はといえば…。この町に来てはじめて降り立った駅近くのカフェにいた。 一時は自室に立てこもっていたものの、あれ以上蒼司さんに触れられることを怖れた俺は、蒼司さんが 女の骸(むくろ)を運び出す為にアパートメントを出て行った後、取るものもとりあえず部屋を飛び出した のだった。警察へ通報なんて考えられるはずもない。今はただ、逃れたかった。 店の入口から死角にあたる奥まった席に身を潜めるように座り、膝の上で組んだ両手に視線を落とす。 やがてその両手をそっと開いて、電源を切った状態の携帯電話に向かって溜め息をついた。 「八神は朝遅いもんな。まだ寝てるだろうな」 弱い笑みを作ってみたが、長続きしない。 「…メール、いつ頃見るかな」 その時のことを思ったら、胸が痛んだ。でも仕方ないのだ。 八神を守る為に今の俺が考えられるのは、自分が八神から離れることだった。 ― 俺は蒼司さんの気持ちを受け入れることはできないし、八神達とももう会わない。 蒼司さんもこれ以上罪を重ねないでくれることを祈ります ― 自室の机の上。置手紙にもそう書いてきた。 折を見て町を出ることも考えた。なのに、まだそこまで踏み切れないのは、蒼司さんが八神に危害を加え やしないだろうか? といった不安を感じているのと、その八神へ心を残しているせいだ。 所持品は携帯電話と、タオルハンカチと少しばかりのお金と板チョコ2枚が入ったカーキ色のディパック。 雨は止みそうにないが、いつまでもここに居座るワケにもいかない。 疲労の色が浮かんでいることにも気づかずに俺は立ち上がり、店を出た。 足の向くまま、町の中をあてどなく転々としていた。 そうしているうちに町の中心部を離れ、見覚えのある場所にでた。夕刻がさし迫る中、俺が今夜の雨宿り 場所に決めたのは、この町に来て初めて与えられた仕事で訪れた公園だった。 雨に濡れた体にかまうことさえ忘れて歩く。ひとけも無く園内には、雨避けになるような建物はない。 でもあの日、高い位置の枝に引っかかった子供達の模型飛行機をとってやろうと登った大木がある。 大きく張り出した枝につく無数の葉は、意外に傘の役割を果たしてくれるし、こんな雨天ならなおさら 人も来ないだろう。 まぁ、木登りが得意といえども今日みたいな雨天では水気を含んだ表面は滑りやすく、あの時登った位置 までいくのは危なくて、3、4枝下の、太めで安定した枝の付け根に腰を落ち着けた。 草葉を打つ雨の音しかない世界にたった一人。行くあてのない自分。 感じずにいられない孤独感を紛らわせようと、なんとはなしに携帯電話に電源を入れた。するとその直後、 待っていたかのようなタイミングで着信音が鳴り響いた。 「! あ……」 かけてきたのは、八神。 高鳴る鼓動に息苦しさを覚えながら受信・着信履歴を確認すれば、眩暈がするような結果が送られてきた。 「八神……朝からずっと、俺を探してるんだ………」 いつ見るかしれぬメールを、八神は数十分おきに送ってきていた。 ためらい、思い悩んだ末、ひとつひとつ開いてみる。「とにかく連絡をしろ」という旨のメールが続く。 「できないよ。ごめん、八神」 小さい声で詫びた。 そして最後。今送られてきたばかりの八神からのメールを開いてみれば…。 ……さすがに八神もヤケになっているんじゃなかろうか…? と思うようなメールだった。 なんなんだよ、八神。…俺、せっかく「会わない」覚悟を決めたのに、ものすごく気になるよ!! 「会うのがダメならせめて声ぐらい聞かせてくれ。さもないとおまえの恥ずかしい写真を使ってでも 必ず探しだす」って…。なぁ八神、俺の恥ずかしい写真って、何?! その後も、八神からの「連絡乞う」メールは断続的に送られてくるのだった。 空に穴でも開いたかのように、雨のあがる兆しはない。 夜になって、いっこうに鳴らなかった携帯電話が鳴り、八神はリクライニングシートを起こした。 画面に表示された番号を見てすぐに通話ボタンを押したものの、相手である京は無言のまま。 八神は携帯電話を耳に当てて少し待ってみた。が、あいかわらずなので、あきらめて水を向けてやる。 「やっとかけてきてくれたのは嬉しいが、声は聞かせてくれんのか? 京」 ややあって一言、『……ごめん』と返ってきた。 「おまえに謝られるようなことをされた覚えはないし、なにも気を悪くしてなどいない。何があった? それより今どこにいる? 迎えに行く」 『それはおしえない。もう会わないって、メール見ただろ? もうあのアパートにも帰るつもりないよ』 「……京、先日のことが原因なら正直に言ってくれないか? それならオレこそが…」 『違う! あの日のことを八神が気にやむことなんてないから! それだけはハッキリ言っておく』 沈みがちだった京の声が八神の言葉を強く遮る。少し驚いて、今度は八神のほうが黙り込んだ。 『……八神。ところで、俺の恥ずかしい写真ってなに?』 「…ああ、あれか。気になったか?」 『すごく気になってるよ。だからこうして、ウッカリ電話しちまった』 「大成功」と口を動かした八神の口元に浮かんだ笑みを、京が知るはずもなく…。 『え…なんだって? 聞き取れなかったんだけど?』 「べつに。そういえば言ってなかったなと。実はな、おまえはオレの助手であると同時に最高の被写体 なんだ。常にファインダーを向けられていたことに気づかなかったか?」 ときに腰にくる八神の低音に、どこか楽しんでいるような、あやしげな笑いの波動がまざる。 本気か冗談か、どちらともつかない含みに、京はどう答えようか迷っているようだ。 「まぁ…、恥ずかしい写真というのはモチロン嘘だが、おまえが知らないおまえの写真はある。…見せて やる。だから京、どこにいる?」 『……………言わない。そりゃ、写真は気になるけど』 「……なら一度だけ、おまえを見つけるチャンスをくれないか?」 『…………』 「京。聞こえているか?」 『……八神じゃ無理な所、かな』 「オレが無理な所?」 『…もう切るよ。…あのさ、やっぱり俺、八神の声聞けて嬉しかったぜ。探してくれてありがとな』 「待て、京。まだ話は終わってない…!」 通話口に向かって叫んだが、それ以上京を引き止めることはできなかった。 八神は携帯電話を手にしたまま、考え込んでいる。京が言ったことを反芻して、答えに繋がるキーワード を探す。目を閉じて、京を思った。 やがて…。 路肩に停まっていた八神の車は、雨を弾くように発進した。 ◆ア・ト・ガ・キ◆ なんだか暗い方向へいきそうになるとみーせーかーけーてー、ズッコケた感がしますが…。 八神さん、アンタいったい…(笑)。 それではまた次回。できるだけ早めにお届けしたいなー(というのはいつもの希望)。 また読みに来てくれるとウレシイとです。 BGM. 「Mr.Deja vu」(Song byネイジャ) 「Daydreamin’」Song by谷山紀章) back next |