| 「CP#10」 やまない雨と暗闇の中に一人きり。 頭上で重なり合うように伸びた枝と葉のおかげで幾分かは雨水に打たれるのを避けることができたが、 こうも長く留まっていると、気に入りのデニム地のジャケットは雨水を吸って冷たく、重くなるばかり。 それでも今の状態では冷えきってしまった体を温めるすべなどあろうはずもなく、湿った両袖に顔を埋めて ただじっとしているしかない。 時々まどろんだ。その時に見る不鮮明な夢の中に「八神」を感じて、追おうとすると意識が現実へ戻る。 ― せめて夢の中でぐらい会わせろ。 そのうち俺はふと、なにかに引かれるように顔を上げて、視線の先に動くものを見つけてギクリと顔を 強張らせた。 何者かが懐中電灯らしき光で辺りの木を照らしては、また少し、また少しと、自分のいる木のほうに 向かって近づいてくるのが見えたせいだ。 (雨降りの夜なんかにこんな場所をウロつくヤツなんて…いったい? まさか…この木を探してるのか?!) 冷えた身に緊張が走った。なるべくあの光の中に姿を捉えられないようにと、できるだけ幹に背中をピタリ とくっつけて身を縮める。ところが間の悪いことに、雨に濡れるのを防ごうと懐に入れておいた携帯電話が ポロリとすべり落ちた。 「あっ!」 思わずでてしまった声は引っ込めようもない。しかも携帯電話は地面の上にまで張り出した頑強な根にあたり、 鈍い音をたてただけにとどまらず、すぐバウンドして、そばのぬかるみにポチャンと音をたてて落ちた。 「……………」 なんてこった…! と思っても、もう遅い。今の音を聞き逃さなかったとみえる人影は、たしかな足取りで 俺がいる木のところまでやって来た。 足元を照らして、ぬかるみに落ち込んだ携帯電話を拾い上げたようだった。 ややあって、人影が懐中電灯の光を上に向けて声をかけてきた。 「そこにいるんだろう? 京」 「八神?!」 思わず首を伸ばして下を覗き込む。傘を下ろして佇み、自分を見上げているのは八神だったのだ。 「ああ、オレだ。それにしても器用なやつだな。いつからそこにいた?」 「八神…。なんで、ここが…」 「オレには無理だと言ったおまえの声がどことなく可笑しそうに、いやにハッキリ言ったのがどうも気になってな。 考えてるうちにここを思いだして来てみたらほんとにいた、といったワケだ」 「はぁー…まいったな。なんて感がいいんだ…」 「二階堂に言わせると、それは「運命だ」と言うだろうな」 「運命……」 そういえば以前、二階堂さんに八神との関係を「運命」の恋人同士とか言われたことを思いだした。 ― ほんとうにそうなら、嬉しいんだけどな。 「京。話はあとだ。とにかく下りてきてくれないか」 「…イヤだって言ったら?」 「オレがおまえのところまで登っていって、引っ張り下ろす」 表情はよく見えないが、声音からするとどうやら本気らしい。 ― 木登り、苦手なくせに…。 俺は目を伏せて、小さく笑った。 「…ハハ。言うね。でも八神はやめといたほうがいいって。雨で濡れてて、前の時より滑りやすいから。 危ないぜ?」 「それでもやるさ。探しまわってやっと見つけたおまえを、オレが離すと思うな」 こんな近くに八神が来ていて、いつもと変わらない低音で熱のある言葉を紡ぐのを聞いてしまったら、 蒼司さんの矛先が八神に向かわないようにする為にも八神にはもう会わないで消えよう―という決意は 早くもグラグラと崩れ落ちそうで。ここはなんとか振り切るように、俺はこの日はじめての大声をだした。 「! 八神、だめなんだよ。…頼むからもう俺のことは放っておいてくれ! 俺にかまわないでくれ。八神の為にも!」 「何があったんだ?」 「……………」 「もういい。事情は落ち着いたあとで聞かせてもらおう」 「八神。俺は…っ」 「京。自分の部屋に帰りたくないのなら、オレのところにくればいい。従兄弟には内緒にしといてやる。絶対に守る」 「!」 「だから今、オレがおまえのいるところまで登って行けたら…その度胸に免じて、一緒に帰る。いいな?」 「………」 八神は俺の返事を待つつもりはなかったようだ。その後すぐ木が振動し、幹に新たな重みがかかったことを伝えてくる。 「よせよ、八神。滑りやすいし脆い枝とかあるから危ないぞ。……なぁ…、返事しろってば!」 耐えかねて、かける声が荒くなる。でも八神からの応えはない。かわりにかすかな雨音に混じって耳に届くのは、枝の 折れる音や木の幹に靴の裏を滑らせたような音…。 ニ、三度大きな水音がたった時は、登るのに失敗したに違いない八神の身が心配になって、息苦しさを覚えた。 なにせ急に気配が感じられなくなってしまったから。 気になって体の向きを変えて下方を見ようと、木の幹に手をかけた時と八神が姿を見せたのはほぼ同時だった。 「!!」 八神が片手で枝を掴み、もう一方の手で上着のポケットから取り出した懐中電灯をかざすと、灯かりの中にお互いの姿 が浮かび上がった。 「待たせすぎたが、来たぞ。京」 眼の淵がじわりと熱くなったのは、ふっ、と笑む八神の顔と声にか、それとも闇に馴染んでいた眼に受けた光のせいか。 気づかれたくなくて俯いた。けど、 「危ないって、かまうなって言ったのに…ばかやろう。嬉しいとか言ってなんかやらないからな。擦り傷なんか つくっちまいやがって…。イイ男がだいなしだ」 おもわず八神に右手を伸ばして、傷ついた頬にそっとあてていた。 「かまわん。おまえがこの木を下りてオレと一緒に帰る。それで十分だ」 「………」 「京。余計なことはいっさい考えずに、オレが今聞くことだけに正直な気持ちで答えろ」 「……なんだよ?」 「オレといるのは嫌か?」 「嫌なわけないだろ。俺がどんな思いで今こうしていると…。どうしてそんなこと言うかな、八神は」 「なら問題ないな」 「でも…」 「どうしても下りたくないというのであればオレもここで夜明かしになるだけだが? ただ、気になるのはその枝、二人分に長く耐える強度はなさそうだ」 「…八神って、意外と面倒見がいいんだ?」 「おまえ限定だ」 「!」 「さぁ。木登りは無理だと言われたオレだが、こうして登って来たのだから約束どおり一緒に帰ってもらうぞ。 とにかく、まずは下りてくれ。で、 今度は滑りやすくなってる木の下り方をレクチャーしてくれると 助かるんだが?」 「俺はもう八神に、八神達に会わないって、蒼司さんに……」 「京」 静かな声音に、苦悩に揺らいだまま視線を戻す。 「……」 「一緒に帰ろう」 自分に差し伸べられた八神の手。 「………っ…」 蒼司さんに嘘をつくことになる。八神に危険を引き寄せてしまう。けれど八神を前にして、抑えていた本当 の気持ちはもう押し止めることができなくて。俺は雨に濡れて自分同様冷たいその手を、握り締めた。 やんわりと握り返される強さに、俺は体の内から熱が息を吹き返していくのを感じていた。 back next ◆アガキというかアトガキというか…◆ 京がいそうな場所をドンピシャであててしまう八神センサー。 「ここにいまーす!」と言わんばかりにタイミングよく落ちる携帯電話。 ご都合主義?…そうとも言う。が、いーえ! 愛が起こす奇跡、愛がなせるワザなのです。そーなんです。 こうした現象は「愛の奇跡」と思うよーに(笑)。 |