「CP#07」 戻った深夜の部屋に、蒼司さんの姿はなかった。 もしかしたら、雑踏の中を一緒に歩いていた金髪の女性と過ごしてくるつもりなのかもしれない。 今夜はここに蒼司さんがいなくてよかった…と、おれは少しホッとした。 今顔を合わせば「なにかあったのか?」と聞かれる顔をしていそうだし。そうなったら、上手く取り 繕えそうにはなかったから。 とにかくシャワーを浴び、室内着に着替えて、すぐベッドに潜り込んだ。 眠ることで忘れてしまいたくて。 けれど眠気はいっこうに訪れない。そのうち、夜の静けさがまた淫らな光景を脳裏に思い起こさせる。 ぎゅっと目を瞑っても 「………ッ」 肌を撫でる扇情的な八神のてのひらの感触を、吐息を、声を、くちづけの熱さを思い出してしまう。 八神に好意以上の感情を抱いていたのだから、あのままあの状況を受け入れてしまったとて後悔 などしなかったろうに、なぜ自分は? なにに怯えたんだろう? いつまでも消えようとしないモヤモヤに苛まれながら、おれはひとり、寝苦しい夜を過ごした。 浅い眠りの中、夢かうつつか、すぐそばで獣のような息遣いを感じて瞼をゆっくり上げた。 夜明けが近いらしく、窓の外はほんの少し白々としてきてはいたが、室内はまだ暗い。 なにかいる? 目が暗闇に慣れるのを待っているうちに、音もなく気配が離れた。 「……」 何事も起こらない。 まさかこんなところに獣がいるわけないし。寝ぼけるにもホドがあるな…。そう思い直した。 と、扉の向こうでかすかな物音がした。 蒼司さんが帰ってきたんだろうか? と覚醒しきらぬ頭を振りつつ、ふらふらと半開きになったドア に近寄り、ドアノブに手をかけそっと引く。 (……あ?) こちらのドアが開くのと、向かいの蒼司さんの部屋のドアが閉まるのはほぼ同時。一瞬、黒く細い ものがチラリとみえた気がしたのは目の錯覚だろうか。 ― 気になる。 おれは少し考えてから蒼司さんの部屋の前に行くと、控えめにノックして声をかけた。 「蒼司さん、帰ったのかい? 入っていい?」 部屋の中から応えはない。 ドアが閉まるのを見た以上、中になにか、誰かいるのは間違いないのに。 まさか…、強盗…?! 思い浮かべたものにギクリと身がこわばったが、見なかったことにもできず、竦みそうになる体を 叱咤して思い切りドアを開けた。 万が一の事態に備えて身構えてみたものの、目に入ってきたのは、シャツを脱いでベッドに腰掛け、 ボンヤリとしている蒼司さんだった。 ベッド脇のダウンライトが、端正だがどこか物憂げな蒼司さんの顔を照らしている。 「蒼司さん! …よかった」 「…京。どうしたんだい?」 「今夜はもう帰ってこないかなって思ってたから。そしたら、はっきり見えなかったんだけど、 なにかが蒼司さんの部屋に入っていったのを見たような気がして…。かなりビビったよ」 ははっ…とごまかし笑いするおれの前で、蒼司さんの様子が少し変わった。 「……帰ってこないと思ったって? …なぜそう思ったんだ?」 いやに真剣に、おれをじっと見る。 「え? いや、あの…じつはおれも帰ってきたのが午前様だったから。でも帰ってきたら蒼司さん もいなくて。これはもうどこかでお泊りなのかなって、勝手に思っただけだよ」 思わぬ反応に戸惑って、うっかり口を滑らせそうになったけど、この時はまだ、街で女性と歩いて たのを見掛けたなんていうことは言わないでおいた。 「…そうか。京も帰りが遅かったのか…。めずらしいね」 「うん」 「八神君のところにいたのかい?」 「ん。そう。仕事の書類を届けに行ったんだ。それから夕食を一緒にとって、あれこれ手伝って たら終電ギリギリになっちゃってさ」 「― それだけ?」 「え?」 蒼司さんの放った意味深な一言に、ギクリときた。 「やだなぁ、蒼司さん。何言いだすんだか。それよりほら、じきに朝だけど、もうひと寝入りした ほうがいいよ。おれも部屋に戻るから」 ここは早めに退散したほうがいいようだ。 薄々感じていたことだが、蒼司さんは、おれが八神とつきあうことに関して神経質な一面を見せる。 八神のことを悪くいうでもないし、付き合うな、会うなということを言ってくるわけじゃないが、 蒼司さんには時々ひっかかるものがあるらしい。 これ以上探られたくなくて、クルリと踵を返した。が、そのおれの右手を蒼司さんが掴んで引いた。 強い引力には逆らえず、体はそのまま背後の蒼司さんの両腕の中に。 「!?」 無言のまま抱きすくめてくる蒼司さんの力の強さに、すこし慌てた。 「あ、蒼司さん?!」 「京」 「どうしちゃったんだ? なんか、いつもと違うよ?」 「そうかな? いや、そうかもしれないね。京はまだ知らないから」 「…って、なにを?」 背後に顔を傾けて聞こうとしたけど、蒼司さんの様子は窺えない。ただシャツ越しに抱きすく められる力の強さと体温を感じるだけ。 「でも、いつもと違うのは京もいっしょだ」 「………」 「幸か不幸か、わたしは人の何倍も鼻が利くからね」 「……?!」 何が言いたいのか? と訊こうとしたその時、おれの部屋で携帯が鳴る音がした。 「あ」 声をだしてしまった。 もしかしたら…。 八神の顔が脳裏をよぎる。 この腕を振り解いていいものかどうか躊躇していると、蒼司さんから腕を解いた。 「気になるなら行くといい。わたしもすこし眠る。話はまた後でゆっくりしよう。おやすみ、京」 いつもの優しい声音でそう言い、背中まで押して立ち上がらせてくれるままに。 「それじゃ…。おやすみ、蒼司さん」 蒼司さんが今どんな顔をしているのかを見返すことより、今度こそ足早にその部屋をでた。 自分の部屋に戻り、携帯を持ったところで、着信メロディは途切れてしまったけれど。 入ってきたのはメールで、それはめったにメールや電話をよこすことのない八神から送られて きたものだった。 終電は間に合ったか? 色々とすまなかった。また、会えるだろうか? ―八神 八神らしいといえば八神らしく、内容はいたってシンプル。 でもあのあとも気に掛けてくれてたのかと思うと、なんだかまた切なくなるじゃないか。 あれはおれが……。ああもう、どうしよう。言葉にならない。とにかく今伝えられることを…。 サンキュ。終電には間に合ったから。おれのほうこそゴメン。また会いに行くよ。おやすみ。 ―京 結局、八神のメール内容にたいして忠実に返事するだけのものとなってしまい、苦笑い。 フザケてると思われやしないかという不安もあったのだが、思い切って送信ボタンを押した。 送信が完了したのを見届けるとベッドにあお向けに横たわり、携帯を枕元に置いて目を閉じる。 今しがたの蒼司さんの言動が気にならなくもなかったが、今は八神が送ってきてくれた短いメール に安堵して、やっと眠りにつけそうだ。 薄れてゆく意識の端で、街のどこか遠くを走るパトカーのサイレンが、幾重にも鳴り響いていた。 back next |