「CP#06」




先日のモデル料を受け取りに行った。

謝金入りの封筒を差し出しながら、二階堂さんが溜め息をついて見せた。

「残念だなぁ。なぁ京ちゃん、やっぱり気は変わんない? 先方さんも、できたら次回も京

ちゃんをイメージキャラクターにしたいって、まだ言ってるんだけど」

「ありがたい話だけど、おれにはモデル業なんて無理だって。それに八神にもう次の仕事紹介

してもらってるしさ」

「知ってる。八神の専属モデルだろう?」

二階堂さんが腕を組み、ふっふーん、ボスは何でも知ってるんだからなー! と言わんばかり

にふんぞり返ってみせている。

おれはちょっと慌てて、顔の前でたてた手を左右に振った。

「え? いや、専属モデルってほどのことはしてないよ。ポーズの要求もないし。ほとんど

雑用を引き受けてるんだ。荷物持ちとか連絡係とか、あとは食事の用意とか」

「何だって? 食事の用意だぁ? …八神のヤツ〜〜、こっちが多忙を極めてる間にそんな

とこまで親密度をあげたってか。まさか…捧げちゃったりしてないだろうな、京ちゃん?」

「………? なにを?」

おれがキョトンとしていると、二階堂さんが傍らに来て、コソリと耳打ちしてきた。

「バッ・ク・バー・ジ・ン」

「! な、なに言ってんだよ! そんなこと、あるわけないだろ」

「ふーん…そう? 八神はああ見えても…」

ニ階堂さんはどうあっても面白がっているようで、ニンマリ顔で見てくる。

「二階堂さん……、ほんとに怒るよ?」

「アッハッハ。ごめんゴメン。怒んないで。やっぱり八神に京ちゃんをとられちゃったから

ヤキモチやいてんの。でも、ほんとに八神のヤツは変わったなぁ」

「?」

「前にもおしえたと思うけど、八神ってどうも人間嫌いらしくて、依頼されても頑として人間

は撮らない奴だったんだ。それが先日の撮影以来、京ちゃんだけは撮るようになって…。実は

この間、鬼のいぬ間にこっそりと何枚か見せてもらったけど、京ちゃんのいい瞬間をじつに

よく捉えてた。京ちゃんがまた八神に向かっていい顔向けてたのもあったし」

そう言って、彼はおれの両肩に手を置きながら顔を近づけてくる。ななな、なんだ? と肩を

竦ませたまま固まっていると、ふふっと笑いかけながら、またもアヤシイことを囁いてきた。

「まるで運命の恋人同士のようだね。ちょっと妬ける」




ビルを出ると、外はもう日が暮れていて、家路や酒場へと急ぐ人でごった返していた。

「うう〜〜〜…。あの人は悪い人じゃぁないんだ、悪い人じゃー…。でもな〜〜〜〜」

あの人とは勿論、ニ階堂さんのことだ。

八神とおれの関係の進捗具合が最近の新たなるお楽しみらしい。しかし八神はいつもそっけない

態度でかわして取り合わないから、思ったことが顔にでやすいおれが、今やターゲットにされて

困ったところだ。

「うー。避けられない以上、おれもかわせるようにならないとなー。………あれ?」

ふと巡らせた視線の先、遠目ではあったけれど、蒼司さんを見かけた。

黒のハーフコート姿にサングラスをかけて、おれがいる道とは反対の方へと横断歩道を渡っていく。

おれはちょっと驚かせてやろうと思って追いかけて、もう声が届くだろうという距離に近づいた

ところで立ち止まった。

なぜなら横の路地から、蒼司さんを待ちかねていたように金髪の色っぽい女性が現れたからだ。

何事か囁きかけながら、女性は蒼司さんの右腕に自分の腕を絡ませ、甘えるように身を寄せて

一緒に歩き出す。

(へぇ〜。美人だなー。蒼司さんの恋人かな? ってことは、今からデートか…)

となれば、これ以上後を追うのは野暮というもんだ。おれはもと来た道を戻り、メトロへ続く

階段を下りて、八神の住むマンションへ向かうのだった。




もしもこの時、蒼司さんの腕を掴んでいれば、悲劇は食い止められただろうか…。



    




夜になって。

立ち寄った八神の部屋で、夕食を一緒にとった。

その時に、以前、お礼のつもりで渡した赤ワインを、八神にすすめられて少しだけ口にした。

アルコールに弱い質なことは、自分自身も八神も承知なので、小さなグラスにほんの少しだけ。

それなのに後片付けをする頃にもなると、肌にはうっすらと赤みがさして、心も体もどことなく

フワフワ、気持ちいい。体を横にしたら眠ってしまうかもしれない。

あんな少量で? と、八神に笑われそうだ。


「よし。片付け終わり、っと」

メトロの終電時刻が近づいているのに気がついて、帰り支度をするためにリビングに戻ると、

八神が長ソファーに体を横たえて眠っていた。寝姿を晒すなんて珍しい。

マホガニーのテーブルにはネガが散らばり、八神の、胸に置いた左手にもネガが握られていた。

「…………」

両膝をつき、あまり音をたてないようにテーブル上のネガを一箇所にまとめ、次に八神に向いた。

寝顔を見下ろし、目を伏せているのをいいことにじっと見てみる。

普段は睨みの利く、鋭い眼光の持ち主だが、寝顔となると可愛いとさえ感じてしまう。

カメラが手の届く範囲にあれば、こっそり撮っておきたいものである。

惜しいなー。今度から、インスタントカメラでもいいから持ち歩くようにしよう。

そんな思いつきに内心笑いながら、八神の左手からそっとネガを抜き取ろうとした途端、なんの

前触れもなく、八神がスッと目を開けた。

「あ……悪い。起こしちゃったか」

まだ目覚め切らぬ目で、じろりと京を見るが、

「…いいや。かまわん。急に眠気がさしてな」

「もしかしてさっきのワインで酔った、とか?」

ん? といった顔で一瞬おれを見た八神が、すぐに前髪をかきあげながら体を起こして、

ニヤリと笑った。

「おまえでもあるまいし。自分で言うのもなんだが、オレは酒においてもかなり強いぞ?」

不敵な笑みに気をとられていると、おれの喉元に庵の指先が触れて。

何? と問う間もなく、指先はそのままさがり、シャツの襟をぐいと引っぱった。

八神の、髪色と同じアガットの目が、大きく覗いた胸元にじっと注がれている。

「美味そうに色づいてる」

真顔で呟く。

「……は? や、八神?!」  

いきなり何を言い出すんだか。

「赤いぞ。あの程度の量でもおまえは染まるのか」

「………みたいだよ。笑いたきゃ笑え」

「いいのか?」

「……………」

返答に詰まるおれの顔を見下ろしていた八神がフッと笑った。

「やめておこう。うっかり笑って、明日から来てもらえなくなっては困る。それより」

「? ……のぁっ?!」

おれの体は突然強い力に引っ張られ、今まで八神が横たわっていた長ソファーに倒れ込んでいた。

起き上がろうとすると、それを邪魔するように八神が圧し掛かってくる。

「…な、んだよっ、八神?」

「酔ったのだろう? このまま泊まっていったらどうだ?」

「え。…や、でも、まだメトロの終電に間にあうと思うし…」

「では、いっそのこと間に合わなくしてやろうか」

「八神…………?」

いつもと変わらぬ低音のはずなのに、今の囁き声にはなぜだか尾底骨のあたりがゾクリときた。

そっと顔を、唇を寄せてくる八神から目が反らせない。

濁りのない、かといって硝子玉のような冷たさもない、知性を湛えた美しい双瞳。

アガットの色に囚われたかのように、おれは動けなくなった。



八神もおれも、今夜はどうかしていると思う。

唇を塞がれた瞬間、行為にためらう心をさしおいて、体がまず八神を欲しがった。

すこし泣きたい気分になる。自分のどこに、そんな淫らな一面が隠れていたのかな、と。

あっさりと体を開いた自分を、八神は軽蔑しないだろうか? と。

そんな戸惑いをあざ笑うかのように、体はますます与えられる愛撫に従順になっていった。

外気にさらされたおれの肌に、八神が唇を滑らせていき、時々、啄ばむように強く吸う。

はじめて与えられる快感に、それが八神であることに、おれの体はひどく歓喜していた。

けれど、八神の手がスラックス越しに下肢をまさぐり、ジッパーを下げようと指をかけた時、

脳裏に響いた獣の咆哮が、快楽の波にたゆとうていたおれの意識を正気に引き戻した。

「…っ!? だめ…だ。やめてくれ、八神!」

「京?!」

八神の首や背に絡めていた手を振り解き、その体を押しのけるようにて、おれは立ち上がった。

「京?」

「ごめん。なんか気分が…すぐれ…ないんだ。今夜は帰る…よ」

鼓動が早鐘を打つせいで、言葉がうまく繋げない。

「京、待て」

手のひらを返したように拒絶しだしたおれの様子に、八神は気遣うような顔で傍に来ようとして

いたけれど、その分おれは身を引いて。

「ほんとにごめん! でもダッシュすれば、終電ギリギリ間に合いそうだから。やっぱり帰るよ」

できるだけ笑顔を作って、八神に「おやすみ」と告げて、おれは椅子の背もたれに掛けておいた

ジャケットを引っ掴み、乱れた衣服を整えるのもそこそこに、彼の部屋を飛び出した。



八神が追いかけてくる気配はない。それでもおれは走りに走った。

メトロの階段を駆け下り、改札を飛び越え、発車間近の終電に駆け込んだ。

息を弾ませながら灯かりの消えていくホームを振り返る。胸には小さな痛み。

ああ。きっと八神は誤解しただろう。今度、どんな顔をして会ったらいい?

―でも、拒んでよかったんだ、きっと。

なぜだかその時、そう思った。





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