「CP#12」




深夜。

八神の部屋に帰り、八神がまず俺の腕を引いて行ったのはバスルーム。

「まずは体を温めて、さっぱりするといい」

そう言いながらバスタブに湯を張る八神の背を見つめたまま「俺はあとでいいから。

八神のほうこそ先に入ってくれ」と、言いかけたら、向き直った八神がわずかに口の片

端を意味深に少し吊り上げて一言、

「なら、一緒に入るか?」

―なんて言う。

別に同性なのだからかまわないはずなのだが、俺は思いきりうろたえた。

「えっ…いや、それは…その…」

困っていると、

「冗談だ」

ちいさく苦笑してみせる八神にピン、と額を小突かれた。

「それに二人一緒に入るには、ここは少しばかり窮屈だろう。とにかくおまえのほうが先だ。

くれぐれも、急いで出てきたりはするなよ? しっかり温まってこい。そうでなければまた

バスルームに押し戻すからな」

湯を張り終えた八神は、俺にキャビネットから取り出したバスタオルと真っ白なコットンシャツ

を手渡しながら釘をさしてくる。

「…じゃぁ、お言葉に甘えるよ」

「ああ、そうしろ。オレはその間にやっておくことがあるし、まぁゆっくり入っていろ」

「やっておくことって?」

「まずは二階堂に電話することからだな。京を見つけたら連絡を入れる約束でオレの分まで

仕事を押し付けたし、それにあいつだって、おまえからのメールを見て夜も明けきらないう

ちにオレのところに素っ飛んできたぐらい、かなり心配していたんだぞ?」

「…ああ。結局、八神どころか二階堂さんにまで心配かけてたんだな…。悪かったよ。…で

も八神、こうして戻ってきておきながら何なんだけど…。俺が八神のところにいるってこと、

できるだけ誰にも知られたくないんだ。せめて今居る間だけでも」

「……あの従兄弟に知られるのが、そんなに怖いのか?」

「! ……ああ。そうだよ。俺は蒼司さんから逃げてきたんだ」

「………。二階堂なら心配いらない。あれでも気は回るヤツだ。一応念は押しておくが、も

しあの従兄弟が二階堂の所に京の行方を尋ねにきたとしても、おしえるようなことはしない

はずだ。むしろ京の力になりたがるだろう」

「それは…。ありがたいことだけど…。そこまでしてもらう謂われなんて、俺にはないよ」

「おまえにはなくてもアッチはおまえに関わりたくてしょうがないらしい。二階堂が言うに

は、おまえのことを食べてしまいたくなるぐらい、気に入っているそうだ」

「え? いや…気に入ってくれるのは嬉しいけど、食べられるのはカンベンだよな…って、

なんだよ?」

クッと笑って、ふと視線を上げたら、八神が薄い唇を引き結び、じっと俺の顔を見ていた。

急にどうしたんだろう? と思っていると、両肩を掴まれて、そのままグイと抱き締められた。

「な、なんだよ? 八神?」

八神はなにも答えない。

肩を掴んでいる力は、振りほどこうと思えば容易にはずせる程度のものだったけれど、俺は

抗うどころかおとなしく八神の肩に額をつけるようにして身を預けた。そうしていると… 

「おまえが少しでも笑った顔を見たら……ホッとしたんだ。おまえを見つけられてよかった」

低くて呟きに近い声音。それでも俺の耳にはしっかり届いた。

抱き寄せられていたのが数秒だったのか数十秒だったのかさえ思い出せないけど、本当に

八神の元に戻ってこられたことがただ嬉しくて。

八神に抱く好意が募れば募るほど、自分の体に潜んでいた忌まわしい烙印がいよいよ現れ

ようとしていることになんか、まだ感づきもしなかったのだ。




肌を打つ温かな水の心地よさに、凍えきっていた体がほぐれていく。

せめて今だけでも…。何も考えるまい。それより早く体を温めて、少しでも早く出なけれ

ばと、熱めにした湯に首まで浸かって勢いよく立ち上がったら、一瞬、目の前が白くなった。

それをこらえて着替えをすませ、足早にリビングへ行くと、壁のダウンライトだけが灯る

部屋の中、八神は長ソファーに背を凭せ掛けて眠っていた。

「八神」

控えめに声をかけてみたが、応えはない。

(ずっと俺を探し回ってくれてたんだもんな。疲れただろうに――)

足音をたてないように近づいて、もう一度声をかけようかどうか迷った。

せっかく眠りに落ちたのだ。このまま眠らせるほうがいいのかもしれない。でも…。

(ひとまず衣服は取り替えたようだけど…)

髪にそっと手をあてると、まだ湿っている。

「………」

ソファーの上に、まだ使われていないタオルがあるのに気づいて、俺はそれを手に取った。

八神の髪にそっと押し当てて、わずかでも水気をとってやろうと思って。

「………」

案の定、八神が目を覚ましてしまい、ゆっくりと面を上げる。とはいっても眠気のほうが

だいぶ強いらしい。顔は上げたものの、目が据わっている。

「悪い。やっぱり起こしちゃったな。髪が少し湿ってたから気になってさ」

「―かまわん。それよりちゃんと温まってきたのか?」

「おかげさまで十分温まったよ。薄暗いからよく分かんないだろうけど、肌に赤みさす程

体がポカポカだ。だから八神も早く入って…って、や、八神?」

ああ、と立ち上がりかけた八神が、グラリとバランスを崩して倒れそうになるのを、俺は

慌てて抱きとめた。

「八神、大丈夫か?!」

「だめだ」

「え?! なにが…」

「かなり、眠い」

「そ、そう…だよな」

「とにかく寝る」

「ああ。じゃぁ俺はこのソファーを借りるから…」

「何言ってる。京、おまえもベッドで休めばいい。来い」

俺に凭れかかるままだった八神がムクリと顔を上げてそれだけ言うと、力を取り戻し、俺

の右手首をグイと引っ張って、今度は寝室へと向かう。

猛烈に眠いというわりに、解き放せないほどの力強さ。抗えない。

「ちょっと…八神ッ?! 待てって。なんで俺まで?! 俺はソファーで十分だって…っ」

それに答えることもなく、八神は寝室に入ると真っ直ぐベッドに向かってそのまま倒れ込む。

俺の手を離さないままに―。

だから当然、俺も八神の傍らに、同じ格好で倒れ込むことになった。

「〜〜ッ! 八神ッ!」

数十秒突っ伏して、おとなしくしてはみたものの、八神が黙り込んだまま、まだ俺の手を

放さないことに痺れを切らして、俺は顔を上げると隣を覗き込んだ。

「……ホントに寝入っちゃったのかよ」

息をしてるのか心配になるぐらい、八神の眠りは静かなものだった。

それはいい。だけど俺の手を放してくれそうにないのは、どうしたものか…。

(こうなったら、自力で)

「…………」

俺は自分の手首を掴んでいる八神の指に手をかけてそっと、でも少しずつ力を加えて引き

剥がそうとした。…けれど、びくともしない。

とりあえず三度、引き剥がしを試みて、やめた。

疲れて眠っている八神を、また起こしてしまうこともしたくなかったし…。



それにほんとは――。

八神に掴まえられている手首から伝わってくると力強さと熱を、もう少し感じていたかった。

「……………」

掴まれた手はそのままに、俺は起こしかけた体を、八神の傍らにそっと横たえる。そして

すぐそばにある端整な顔立ちを観察するうち、身の内に疼くような感覚が蠢くのを、リアル

に感じた。

「!?」


彼に欲情したね? 


低く背徳の音色を含んだ蒼司さんの声が耳元で囁いたような気がして、総毛だつ。

違う。違う!

鼓動が早鐘を打ち鳴らす息苦しさに身を捩らせたくなるのを、傍らの八神に悟られぬ為に、

目を固く閉じてじっと耐えた。


しばらくして―。落ち着きを取り戻したのを感じて目を開けた。

八神はまだ眠りの中だ。

そこで自分の異変らしきものに気がついた。

「………」

八神。こんな暗闇の中だっていうのに、俺はおまえの姿が、寝顔が難なく見れる。

その不思議さの答えを求めようとすると、蒼司さんの幻が俺を苛む。

でも、恐いのは蒼司さんだけじゃない。暗闇を暗闇とも思わなくなっている自分に気づいた

ことで、俺は俺自身にさえ、えも言われぬ恐れを感じるようになっていたんだ。





               back     next