「CP#13」  




夢の中で、俺は小さな窓ひとつない、見知らぬ薄暗い部屋の中にいた。陰鬱な空間だった。

部屋の中央に佇んでいた俺は、とにかくそこから出たくて踵を返した。するとすぐ後ろに

は、いつのまにか淡い微笑を湛えた蒼司さんがいて…。俺が怯えを隠すことすらできず、

背後の壁に後ずさると蒼司さんもまた、ゆっくりと迫ってきた。


どうしてわたしを、そんなに怖がるんだい? 


蒼司さんが、立ち竦む俺の両腕をやんわりと掴む。

優しい声音とは裏腹に、蒼司さんの指先には少しずつ力が込められてゆく。捕らえた獲物

を宥めながら、けれど決して逃がすまいとするように。

俺は次第に肉に食い込んでゆく鋭利な痛みと恐怖に身を捩じらせて、声無き悲鳴をあげる。

自分の腕を掴んでいる蒼司さんの指先をあらためて見て、目を瞠った。なぜなら、腕に食

い込んでいるそれは、人の爪とは形状が異なっていたからだ。

まぎれもない獣の爪。

さらには自分を見つめる蒼司さんの顔がぶれて、黒豹へと変貌していく。

違う…違う…俺は獣なんかじゃない…ッ……八神!

目を固く閉じたまま俺は天を仰ぎ、救いを求めて八神の名を呼んだ。声は思うようにでて

くれなかったけれど。

もどかしくて、苦しくて、恐ろしくて…それでももう一度、八神の名を口にする。

すると蒼司さんが俺の耳元に顔を近づけて、低く囁く。

それは、静かな怒りにも似た感情を孕む声音で。


京、後ろをごらん。


体をくるりと反転させられて、壁と向き合う。

?!

壁だけだったはずのそこには一枚の姿見が嵌め込まれていて、俺と蒼司さんが映っていた。

…?!?!

はじめは二人とも人の姿だった。それが蒼司さんに促されるままに鏡に見入っていると、

俺と蒼司さんの姿が黒豹へと変容していくのが映り…。

蒼司さんの声が夢の中に降り注ぐ。


これがわたし達のもうひとつの姿。同族以外の人間と交われば獣に変じ、交わった者を噛

み殺さなければ人の姿には戻れない。わたし達は同族同士でしか愛し合えない呪われた身。

運命に従って楽になろう。わたしにはもう、おまえしか…

気がつくと、鏡に映る二匹の黒豹はふたたび人の姿に戻って、背後にいる蒼司さんの腕が

呆然と佇む俺を抱きすくめる。

いやだ、蒼司さん…っ



八神!!





「……ッ!!」

開けた視界にブラインドの隙間から差し込む白い光が差し込む。その眩しさから、とうに夜

が明けていたことを知る。

目を覚ましてホッと安堵した途端、傍らが気になった。

(八神は…) 

視線を窓から自分の横に移す。が、眠りに落ち込む際にしっかりと繋ぎとめられていた筈の

手は、いつのまにか解かれていて。

八神の姿を求めて頭をもたげると、ようやくその人が視界に入った。

「おはよー、京ちゃん」

「!」

「惜しい。あと三分待って起きなかったら、目覚ましのキスぐらいしてあげようかと思って

たのにー」

俺が気づくのを待ってましたとばかりに、ベッドの端に腰掛けて、ニコリと笑いかけたのは

「に、二階堂さん?!」

居たのは八神ではなく、かわりに金髪の天使(というのはまだ寝ボケていたのだということ

で)…ではなく、二階堂さんだった。

「二階堂さんがどうしてここに?」

思いがけない登場に驚いて飛び起きると、

「ゆうべ、八神から京ちゃんを連れ帰ったって報告聞いたら、どうにも京ちゃんの顔が見た

くなってね。二時間ぐらい前に、ちょいと押しかけたのさ。―で、八神がシャワーと買いだ

しで京ちゃんの傍を離れる間だけでも…って、ボディーガードをかってでたの」

「ボディガードって…。そんな大袈裟な」

「いいのいいの。させてよ。何もできないんじゃ、八神に即刻追い返されちゃうから。ね?」

「―ありがとう。それに、二階堂さんにまで心配かけちゃったようで、ごめ…っ!?」

謝ろうとすると、開きかけた唇に二階堂さんの人差し指が軽く触れて、制された。

「気にしなくていいって。それより戻ってきてくれて嬉しいよ。もうおれたちに黙って

消えたりするのだけはやめてくれ」

「でも、俺は…」

「だめだめ。何があったにしろ、京ちゃんの身は当分、八神が預かることになったから。

ここから無断に出て行くのはダメ。その間、勿論おれも顔だすからね」

「それは…」

「さて、と。京ちゃんの無事な姿見てひと安心したところで…」

「……?!」

俺に口を挟む隙を与えないばかりか、二階堂さんはベッドに上半身を起こしていた俺の両

手を一掴みにすると、自分の手の中に包み込み、顔を近づけて囁いてきた。

「八神とひとつベッドで夜を共にしたみたいだけど、どうだった?」

「!」

「バージンあげちゃった? もしくはナニはなくとも疼いちゃったりしなかった? ん?」

「なッ…! またかよ! なに言い出すんだよ、あんたって人はもうッ! いっつもそん

な事言っちゃあ、俺をからかって楽しんで…ッ」

どうしようもなく顔に熱が集中していくのがわかる。きっと隠しようもなく、顔が赤らん

でいることだろう。

そんな顔を隠そうと、手を振りほどいて背を向けようと身じろいだが、両手を離さないど

ころか自分の体重までかけてきた二階堂さんに、俺の上半身はベッドに押し戻されてしまった。

吐息がかかるほど顔が近づけられ、間近で瞳を覗き込まれる。

口元には優美な笑みを刻んでいるが、ハニーブラウンの双瞳は、どこか観察するような真

摯さがあって、今さっきまでの茶目っ気たっぷりの態度はナリを潜めていた。

知らず知らずのうちにその目に見入っていた俺は、悪寒ではないが、見えない指先に背筋

を撫で上げられた感じで、一度、大きく身を震わせた。

「ちょっ…とっ、…二階堂さん? 重い…よ」

いつにない態度をとられて困惑するばかりの俺に、二階堂さんが言葉を続ける。

「何か大変な目にあったようだけど、おれたちがいるからもう大丈夫。だから自分に嘘を

ついちゃ、いけないよ?」

「…一体、どうしちゃったんだ? 何でそんなことを…」

「なーんてねッ。京ちゃんのことでは八神にイイとこばっかり持っていかれちまってたか

らねぇ。一発カッコつけてみたかったわけよ。あ、でもホントに、できる限り京ちゃんの

力になるから、おれにも頼ってくれよな!」

「二階堂さん…」

「おっと、それよりこのシチュエーションはたまらないね。やっぱり八神が帰ってこない

うちに、このままおれが京ちゃんをイタダキマス! しちゃおうっかな〜?」

「は?! 何言ってんの! あんた態度変わりすぎだよ…って、ちょっとッ、何して…?!」

こうしたやり取りの間に、いつのまにかシャツの裾から二階堂さんの手が滑り込み、思わ

せぶりに、すりすりと脇腹を撫でさすられた。

「おー、すべすべ」

「い、いただきますって、そっちの意味かよ! 二階堂さん、俺からかって遊ぶのもたい

がいにしろって…!」

「ヤーだよー。せっかく好みなコ、見みつけたと思ったのに、あれよあれよというまに八

神のステディになっちまって。だからこのぐらいの楽しみはくれてもいいでショ? でも

ね、おれ、テクセンスと美貌にかけては八神にも負けないと思うけどなぁ? ちょっと考

えてみる気ない?」

「二階堂さん…あんたね…」

これはもう、本気で張り飛ばすしかないかな? と考えたとき、

「けしからん臨時ボディガードだな」

この状況から救いだしてくれる、頼もしい声がした。

「…なんだよ、八神。もう帰ってきたのか。もっとゆっくりしてくりゃいいのに」

気づけば二階堂さんの背後には、いつのまにやら八神が腕を組んで仁王立ちしており、

冷めた目で俺達のやり取りを眺めていた。

「あいかわらず気配を消して近づくのが上手いよな、八神」

二階堂は悪びれることもなく、平然と八神を振り返る。

「いつまでそうしているつもりだ。さっさと離れろ。京が困ってる」

「あー、はいはい。嬉しついでにちょっと本性が…いやいや、そうじゃなく、つい悪ノリ

し過ぎちゃったんだよ。―ということで、ごめんよ、京ちゃん」

涼しげな笑みを浮かべながら、二階堂さんが俺の上から退いたので身を起こす。と、入れ

替わるように八神が傍に来て、俺の肩に手を置いた。

「気分はどうだ?」

「おかげさまで。大丈夫だよ」

「それはよかった。なら、顔を洗ってキッチンに来るといい。何か飲むか食べたほうが

いいだろう」

「…ん。じゃぁ、顔洗ってくる」

「ああ」

「それじゃぁ、八神、おれにもなんか食べさせてくれ。今日はここからご出勤だ」

「…手伝うならな」

「おう、いいとも。でさ、仕事終わったら、またこっちに来てもいいだろ?」

「今までさんざん京を見ておいて…。もう安心しただろう? まっすぐ自分の家に帰れ」

「えー! イジワル言うなよー。おれも京ちゃんと飲んだり、話したりしたいぜ」

「それはまたいずれ、ということにしておけ」

「あ! おれはお邪魔虫ってか?! 八神〜おまえという男はぁぁ〜〜」

まだ続きそうな二階堂さんのつっかかりだが、八神はひとつ溜め息をつくと、そんな二階

堂さんの首に右腕を巻きつかせて、そのまま一緒にドアへと向かってズンズン歩いていく。

その腕力にはかなわないのか、二階堂は渋々ながらも引きずられていく。

「二階堂、貴様のその肩には、全社員の生活がかかっている。意外にも頼りにされている。

だから皆の信頼に応えて、力の限り仕事に精出してこい」

「意外って言うな。それに八神の口からそんな諭され方するなんてちっとも面白くないぜ」

「おまえを面白がらせようとは思っとらん。―ほら、駄々こねてないでさっさと手伝え」

廊下に出たあともテンポ良く続く八神と二階堂のやりとり。

それに笑いを誘われつつ、二人に続いて、俺は洗面所へと足を向けた。



そして、ふと気づく。

八神の触れた肩のあたりが熱を持っているのを。





         < つづく >




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