「紅華楼夢想奇譚・弐」 あたりがにわかに薄暗くなった。空が時折白く光る。 直後、まだ遠くではあったが雷鳴が轟いた。 じきに雨が降り出すのだろう。 江戸に着いて二日目。 夕餉のけむりが立ち昇り始めた軒先連ねる長屋を横切り庵が訪れたのは、この町の外れで 鍛冶屋を営むテリーという男の元だった。腰までとどく長髪は金色で、後ろでひとつに束 ねている。 瞳の色は晴れわたる夏の青空を思わせた。体格からしても一目で異国の者とわかる。 「なぁ、もしかして妖刀、ってやつか?こりゃ」 腕を組み、戸口に寄りかかるようにして立って空を仰いでいた庵の目が、手渡した刀を目 の前にかざし、角度を変えながらしげしげと検分している背後のテリーに向けられた。 そのテリーは、柄を持つ手に感じた何かに、少々困った顔をしている。 「ほぅ。わかるのか?」 その様子に庵は感心の声を洩らした。 「当たりかよ。…まぁな。あんたがこれを、その鞘から抜いた瞬間ぞくっとしたのは気の せいじゃなかったって訳だ。それで? このやばい刀を、町のしがないこの鍛冶屋にもう 一度打ち鍛えろってか?」 「御謙遜だな。ここに着いてから幾つかの刀剣屋を回って腕利きの刀鍛冶のことを尋ねた が、どこもおまえの腕前の評価がいちばん良かったぞ。だから来た」 「そりゃどうも。ま、最近刀に限らず鍛冶仕事が暇でねー。このままじゃ遊ぶ金どころか 住むところさえ無くしかねんと危ぶんでたところだ。多少いわくつきの刀だって引き受け るさ。ただ、先客があってな。十日ばかり待ってもらわなくちゃなんねぇ。それと妖刀を 扱うんだ。それなりにお代は高いからな。それでもいいか?」 「幾らふっかけてくるつもりなのかはあえて聞かんが、流浪の身なのでな。多少は考慮し てくれ。それにそれは闇雲に血を好みはせん。そう気構えることはない」 「ふうん。そうなのかい? ちょっと安心したよ」 「ところでその刀を預けている間の、代わりになる刀はないか?」 「ん? おまえさん、常に帯刀せにゃならん身の上か?」 「ああ。物心つく頃からそれが手元にないと眠りすらろくにとれん」 弱気にもとれる言葉とは裏腹に、ニヤリと口の片端を吊り上げる庵を見て、テリーは肩を 竦めた。 「へぇ…さいですか。にしても色気のねぇ暮らしだな。おれには耐えれんぜ。血色が良く ないのもそのせいだな、うん」 「そうか?」 「あんた、今の自分の状態に気づいてるかい?」 「ああ。でも今にはじまったことじゃない。刀を預ける先も見つかったことだし、しばら く身を置ける安宿でも探して少し休息をとるさ」 「それならいい所を紹介してやるぜ? まずはうまい酒と食いもん、それからいい女。 俺が贔屓にしてるいい遊郭があるんだよ。華街の奥に建ってる『紅華楼』つってな…」 「そういう場は結構だ」 身を乗り出し瞳を輝かせて、華街にあるという、その人気遊郭の説明をしかけるテリーを、 冷めた表情と口調で一蹴する庵。だがテリーはまだ続きがあるのだとその話をやめようと しなかった。 「でもな、そこの主人が、あ、名前は紅丸っていってうんだが。ちょっとした刀剣収集家 でもあって、各地から取り寄せた逸品を持ってる。あそこにならおまえさんのお眼鏡にか なうようなのが一本や二本あるんじゃないかねぇ……ま、とはいえ、当然いきなり見ず知 らずのあんたが行ったところで門前払いが関の山だ。そこで馴染み客でもある俺の口添え がありゃ、一本ぐらい貨してくれるかもよ?」 「ずいぶん親切に聞こえるが、要はその紅華楼とやらに行く口実が欲しいのだろう?」 「はっはっは! …ばれたか。でも嘘は言っちゃいないぜ?」 「…わかった。ここはひとつ案内してもらうことにするさ」 「オッケイ? よしきた。まかせとけ! じゃ、さっそく行くとしよう」 不承不承な顔の庵に向けて親指を力強く立てて見せる、ご機嫌のテリーであった。 街の各所にかがり火が焚かれ、行燈に火が入る頃。 華街の住人である娼妓達は、それぞれ髪を結い上げ唇に紅を差して着飾り、格子越しに客 を誘う。 遊郭・紅華楼に身を置く男娼の一人、京もその宵は久し振りに一階に下りて、客引きをす る為の部屋に入った。ただし、ただ朱塗りの格子窓に凭れてもの憂げに通りの様子を眺め ているばかりなのだが。 それでも時折媚びるような笑みを湛えた男が近づいてくる。 京は誘いの言葉を囁かれるとそのたびに、心のこもらない微笑を口元に浮かべながら紅い 裾を軽く引き上げ、右の足首に嵌められた金の鈴鎖をチラリと見せてやる。 すると、それを見た男達は残念そうな溜め息をついて格子窓の前から離れていった。 京が右足首にしている装飾具。金色の小鈴のついた鎖。 この華街に出入りしている者なら誰だって知っている。 紅華楼だけでなく、ここ華街で金の鈴鎖をした女郎や男娼には、その間特定の贔屓客がつ いており、普段の倍の値で買われ、見世にいながら囲われているという証なのである。 従って鈴鎖を嵌められている間は無理に他の客をとらずにすむ。たとえ指名があったとし ても拒むことが許される。 相手に恵まれれば、夢のような御身分だった。 「あー、暇」 京が短くぼやきながら洗いたての艶やかな黒髪をなにげに指で鋤くと、 髪に吹きつけたくちなしの甘い香りが鼻腔をくすぐった。 「ちょっとぉ、京ったら。もうちょっと愛想ふりまいたらどうなの? さっきから言い寄ってくる男ども、追い払ってばかりじゃない」 「だって客寄せする気ねーもん」 通りから視線を反らさないまま、気のない返事をする京に思わず紅華楼の人気娼妓・舞の 声は高くなる。 「はぁっ? あんたねぇ〜! じゃぁなんの為にここに来たのよ? そもそも今のあんた にはお相手つとめるべき旦那がいるでしょ?」 「まぁ、ね。でも昨夜(ゆうべ)、使いの男が来て何やら話しこんでると思ったら、なんか 急用ができたからしばらく来れないかもしれないって言って、明け方帰っていったよ。そ れでやれやれと思って、惰眠貪ってたらさ、今度は紅丸が来て、食あたりで寝込んだ百合 と香澄の穴埋めに下に行ってこいってうるさいから。とりあえず」 「そうなの。だったらそれらしくしててちょうだいな。お客をとれとまでは言われてない んでしょ」 「はいはい」 「返事はひとつでいいの」 「あい、姐さん」 禿言葉を使って幼なぶってみせる京に舞が吹き出していると、馴染みの声が掛けられた。 「おー? 今夜は京がいるじゃねぇか。久し振りだな、京。ここンところ、大店の旦那に 上の奥座敷からだしてもらえない可愛がられっぷりだって聞いてたぜ? 此処にいてもいいのか? 旦那だけに飽きたってんなら俺とどうだい?」 自分のからかい言葉がカンに触ったのか、ややムッとした表情になった京の顔を、テリー が格子越しにニヤニヤと覗き込む。少し挑発するような目で。 「よう、テリー。そっちこそ遂に子持ちになったらしいじゃん? ふらふらとこんなとこ で遊んでていいのかよ?」 京が負けずに言い返すと、テリーは苦笑を浮かべた。 「あ! 誰から聞いたんだよ、それ! おいおい、それは誤解なんだって。言っとくが、 ロックは縁あっておれんちに居候してるだけの子供なの。それに、ちゃぁんと同じ長屋の マリィんところに預けて出掛けてきたんだから、朝帰りしたって平気だぜ?」 「ふぅん。ま、おれにはどっちでもかまわないことだけどね」 「つれなくするなよ〜。そんなことより京、ほんとに、今夜ここにいるってこたぁ誘って もいいってことだろう?」 テリーが格子の間に指を差し入れ、京の顎をクイと上げさせた。 「テリーに誘われてものらないけどな。おれは貧乏人と子持ちは相手にしないんだ」 クッと吊り上げた口元と細めた目に艶を含めて笑んだ京が、テリーの指をそっとどけて立 ち上った。 「だからぁ、子持ちじゃねぇってーの」 「それ抜きにしても貧乏だろ?」 「む。たしかに貧乏だ。けどな、そのうちこの赤い髪の兄さんから金が入るから、あては ……あ?!」 機嫌よく背後を顧みたテリーだが、いると思ったその人物がいなかったらしく、きょろきょ ろと辺りを見回した。 そして、見つけたには見つけたのだが。 「あちゃー……ありゃ、相手が悪いぜ」 「ん? なんだよ? どうした?」 テリーの苦笑いまじりの呟きに興味をひかれたのか、京が格子を掴み、ぴったり体を張り つかせて、テリーが見ている方向へと首を伸ばす。が、位置的に見えない。 「どうしたんだよ? あんたの連れ、いちゃもんでもつけられてるのか?」 「あの様子じゃ、まぁ、そんなところだろうな」 「なら呑気に眺めてないで助けてやったらどうだい?」 「んー。どうするかな? 俺は要らないと思うんだが…」 「はぁ? だって今、"相手が悪い"って言ってたじゃん」 「ああ。それはあいつをカモにしようとしてるお間抜けどもに対して言ったのさ」 「…へぇ?」 テリーの後を数十歩離れ、渋面で華街の大門をくぐった庵に、ひったくり目的でぶつかっ た娘がいた。 当然その行為は庵に見抜かれてすぐ腕を掴まれる羽目になったのだが、これが意外にしぶ とくしらを切ろうとする。 「ちょっ、ちょっと、いいかげんに離してくださいってば! ぶつかったことなら謝った じゃないですか!」 「うわべだけの謝罪より財布を返してもらいたいものだな」 「! な、なんのこと? お財布を? 私そんなことしてませんっ。信じられないっって 仰るんなら、ここで着てるもの脱いだっていいわ! それでもし何も見つからなかったら、 あなた、どうしてくれますか?!」 強気の姿勢を崩さない娘の様子を、庵がその腕をしっかりと掴んだまま黙って見下ろして いると、複数の男達が小路から待ちかねたように飛び出してきて、あっというまに娘を捕 まえたままの庵を取り囲んだ。 「やいやい! アテナの手を離せ!」 「うちの大事な商売道具になに言いがかりつけてやがる?!」 「財布を返せだぁ? アテナがスッたっていうのか? へっ! スリなんぞさせるほど、 うちらの見世はしょぼくれてねぇんだよ。ぶつかったからって、疑うのはやめてくれや」 「そうだそうだ。詫びいれてさっさと失せな。せっかく華街に来といて、痛い目みたくは ねぇだろう?」 「ま、その娘が気に入ったってんなら話はべつだがよ。ただし、手荒な真似した分、金は 多めにいただくぜぇ?」 下卑た笑いに顔を歪ませながら口々に威嚇の言葉を吐く男達。それを一瞥した庵の口元も また皮肉げに緩んだ。 「ほう? 大事な商売道具というわりには扱いがぞんざいだな。この娘と、それからそこ の坊主にも分け前はちゃんとやっているんだろうな?」 皆がその言葉に一瞬ポカンとしている間に、庵は「アテナ」と呼ばれた娘の手を離すと、 今度は男達に紛れて立っていた、年の頃十四、五であろうかという少年の胸座を掴んで引 き寄せた。 「わ! なにするんや!?」 突然矛先を向けられて慌てふためく少年の懐にかまわず手を突っ込み、庵は探るように無 遠慮に掻き回す。 「財布を取り返すに決まっている」 「なんやて?!」 「どういう奇術を使っているのか知らないが、あの娘が盗ったオレの財布、今はおまえが 持っているだろう?」 「!!」 「オレにはわかる」 そう言って少年の懐から引き抜かれた庵の手には、たしかに庵の持ち物である財布が握ら れていた。 「!!」 「…チっ! おいっ、てめぇにぶつかったのはアテナだったんだろうがっ! そいつが… 拳崇が持ってるはずねぇ。てめぇが今わざと拳崇の懐に…っ!!」 顔を紅潮させて首謀格らしき大柄の男が歯を剥いたその時――。 「もうそのへんでやめとけよ。見苦しいぜ、雄呂地衆」 涼やかでハリのある声音。チリンと鈴が鳴る。 その場にいた者たちが振り返った先には、薄紅色の女物の着物を着た京が立っていた。 前項 次項 |