「紅華楼夢想奇譚・壱」



新月の闇夜に蠢く魑魅魍魎がなすものか、あたりに無数の青白き鬼火玉が漂う。

ギィィィシャ―ッ!

紅い髪の男は、すさまじき形相と咆哮でもって襲いかかってくるものに向き合うと、怯え

の色ひとつ見せず滑らかに太刀を振るった。

あらかたの魔を弱め、弾く術が施された神社の傍で迎え討つのが得策だと諭す宮司の言葉

に反して、わざわざなんの加護もないこの原野にそれらを誘い出したのは、木立に囲まれ

た聖域よりもここでのほうが思う存分、愛刀を振るい、その威力を引きだすことができる

からだった。

一閃するごとに男を囲む闇より濃い影が霧散し、その度に鬼火玉も消えていく。

そして男が背後に振り向きざま一際大きく太刀を横に薙いだ瞬間、刃全体に青紫の剣気が

火花のごとく走った。


その光景を、岩陰に潜んで見守っているのは2人の幼い娘。

巫女装束の双子の姉妹で姉はあやの、妹はちずる。

今年で齢十六になる、神楽神社の宮司の愛娘たちだ。

「すごい…。今の剣技、鳥肌がたっちゃった」

妹が素直に感嘆の声を洩らす傍らで姉のあやのも頷く。けれどその顔には愁いが滲んだ。

「でもなんて凶々しい剣気なのかしら。うすうす感じてはいたけれど予想を

はるかに越えるものだわ。あれは八神の力を糧に生きる、妖刀」

「八神、とても強いのに。ねぇ、姉さま、このままあの刀を使っていたら

それでもいつかは心も体も食われてしまうというの?」

「ええ、おそらくはね。でも…」

二人の囁き交わすような会話は、カチンという鍔が鞘にあたるかすかな音で止まった。

互いにハッとして顔を覗かせると―。

少し会話に気をとられていた間に、目前で繰り広げられていた戦いには決着がついたらし

い。

すでにおびただしくあった鬼火玉も魍魎の存在も消え失せ、紅い髪の男は何事も無かった

ように静かに佇み、ちずる達のほうに顔を向けていた。

「終わったぞ。でてこい、はねっかえり娘ども」

「あら、気づかれていたのですね」

「どうりで奴等が気前よくついてきたワケだ」

「はねっかえりとは失礼ね! 私はちずるで姉さまはあやの! ちゃんと名前おしえたで

しょ!」

興奮気味にちずるは岩陰から離れ、八神と呼んだ紅い髪の男に近づく。あやのもそのあと

に続いた。

「やかましい。はねっかえりだからはねっかえりだ」

「なによ、失礼ね!」

「社からでてくるなと言い置いてきたはずだぞ。なんの為の結界だ」

「う。それは…だって…だって八神の強さをこの目で確かめたかったんだもの」

「状況をわきまえろ。そんな軽率な好奇心のために命を落としていたかもしれんのだぞ?」

「…ごめんなさい」

まだ戦いの余韻が残っているのか鬼気をはらんだ双眼に射抜かれ、ちずるは思わず涙目に

なる。

そんなちずるの様子に、八神と呼ばれた男はばつが悪そうにフイと目を反らし、あやのへ

と視線を移した。

「とにかくおまえ達の神通力を食らいたがってたバケモノは、跡形なく消してやった。今

度はオレの探しもの、例のものが今どこにあるか見る約束、果たしてもらおうか?」

あやのは八神をじっと見た。

「……………」

ただ目の前にいる八神を見ているだけなのか、それとも別の、常人では見えざるなにかを

見ているのかは分かりかねる表情で。八神はしばしその沈黙に付き合っていたが、やがて

諦らめがついたのか小さく嘆息し背筋を伸ばした。

「天神より授かりし神通力で、すべてを見通す力に秀でているという神楽神社の姉巫女で

も、オレが望むものを見つけだすのは無理か」

「姉さま、そうなの?」

巫女としての能力に秀で優美な、常日頃から敬愛する姉に向けられた失望の声に、ちずる

の口から不安げな問いが洩れた。

それでも微動だにしないあやのの肩に、ちずるが手を置こうとした時。

「江戸へお行きなさい」

「…江戸へ?」

「姉さま?」

「あなたが求めてやまないものが、江戸のどこで見つかるかまではわからないのだけれど」

「ずいぶんと曖昧だな。しかも何がおれを変えるというんだ。ありえんことを。それより

もっと具体的にならないのか?」

あやのは苦笑しながら横にかるく首を一振りすると、申し訳なさそうに目を伏せた。

「ごめんなさい。あとは八神自身でたしかめて」

感情の宿らない琥珀色の双眼で見下ろしていた八神だったが

「ふん。まぁよかろう。おまえの言葉にのせられてやる。このところの無理が祟って、い

よいよ腕利きの刀鍛冶が必要になったところだしな」

そう言って、刃を目の前にかざし見た。




       




夜空が白みはじめる刻。

社で待っていた宮司のもとへ2人を送り届けた八神は礼の言葉とともに差しだされた幾ら

かの心付けを受け取ると、娘達の無事を喜んでいる宮司に街道へと出る近道を尋ねた。

「少し休まれてはどうです? なんならここでもう二、三日、休養をとっていかれては」

「そうよ八神、顔色良くないよ。体を休めたほうがいいわ。私、少しぐらいなら癒しの力

を施せる」

無駄を承知の上で、それでもちずるは引き止める。だが、やはりこの男が従うわけはなく。

「いや、いい。先を急ぐ」

「八神」

「…そうですか。ではこの先にある小道を―」

宮司におしえられた道に向かい、すっかり遠くなったその背を、まだ見送っていた双子の

姉妹・あやのとちずる。

「ろくに休みもしないで行っちゃった。やっぱり八神も何に追われてるのかな」

「……八神のことが気に入ったみたいね、ちずは」

「え? …うん、ちょっと気に食わないとこもあるけど、そう悪い奴ではないもの。

それに巡り会うものがなんなのか、一体どんなものなのか、姉さまは気にならない?」

「そうねぇ…見たいわ。ちゃんとお礼をいう間ももらえなかったし」

そう言って顔を綻ばせたあやのを見て、ちずるもまた楽しげに笑むのだった。





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