「CP #01」



 
俺が生まれた村は、世俗から切り離されたような山深い場所にあった。

生活物資を求めて村の大人達が山を降りることはあっても、此処を訪れる者はいない。

俺がこの世に生を受けてもうすぐ20年が経とうとしている。が、その間、ここで

村人以外の人間を見たことなんてない。 外部との交流を厭う閉塞的な村。

成人した若者の中にはそんな村を嫌い、山を下りていく者もいた。戻る者はまずいない。

早くに両親を失った俺を育ててくれた従兄弟もまたその一人だった。

村で、俺が唯一慕い、懐くことのできた従兄弟。九つ年上の蒼司さん。

『どうしていっしょに連れて行ってくれないの?』

『ごめんよ、京。京にはまだ早いんだ』

『おれ、蒼司さんがいなくなったらまた一人ぼっちだ』

『手紙を書くよ。それに京が大きくなったら町へ呼ぶから。そうしたら一緒に暮らそう。約束だ』

そう言って手を振った蒼司さんは夜陰に消えて。

年に数度、町へ下りた村人が、物資と一緒に蒼司さんから俺宛ての手紙を携えて戻って来た。

町の様子や、暮らしぶり。

村では考えもつかない内容を、俺は何度も何度も読み返しては、下界に思いを馳せた。
 


 
赤い月が昇ったその夜。

俺は二十歳となった。

半年ぶりに受け取った手紙には住所と電話番号が記されていて、最後にこう締めくくられていた。

『 成人おめでとう。京が来るのを心待ちにしている。   ― 蒼司 』と。  

それがどういう意味なのか知るはずもなく、この時の俺はただ、下界へ、町へ下りて暮らせる

嬉しさに胸弾ませるばかりだった。
 


     



数日後。

俺は蒼司さんや村を出て行った人達と同じように夜の闇に紛れて村を出ると、麓の町へ行き、

朝一番の列車に乗り込んだ。

そして手紙に記された町に列車が着いたのは、夕闇押し迫る時刻。

ホッとしたのはつかの間で、今、俺は慌ただしく人が行き交う広い構内の片隅で少々不安な

気持ちを抱えて佇んでいた。

「まいった、なぁ〜…」

なぜかというと、肝心の蒼司さんに連絡が全くつかなくて。

さっきから何度も電話をかけているが、コール音が虚しく続くばかりでちっとも繋がらない。

「うーん……」

時間は刻一刻と過ぎていく。

連絡がつかないとなれば、ここからタクシーを利用して…。

そう思ってジーンズのポケットから有り金全部を掴みだし、数えてみた。

「…………」

わずかな銀貨。

これではとてもタクシーには乗れそうもない。

(けど…あとホットドッグぐらいは買える、かな?)

苦笑して視線を巡らせた先におあつらえむきの店があった。

電話は少し時間を置いてからまたかけることにして、俺はとりあえず駅の向かいに見える

カフェに向かって歩き出した。

 


     



それから。

十分とはいえないが、カフェで腹ごしらえをすませた俺は、少し気持ちに余裕がでてきたのか

そこかしこの街灯が点灯しだした町中を歩いてみることにした。

日が落ちたにもかからわず町には光が溢れていて、店や通りには人が賑わっている。

俗世離れした山村育ちの俺には建物もウィンドウに並ぶ品々も何もかもが珍しくて…。

駅から離れていっていることも気にせず、見て歩き回ることについ夢中になっていた。 



そうして1時間あまりが過ぎた頃だろうか。 

「……………」

気がつけば、俺は動物園の門前にいた。

開園時刻はとうに過ぎていて、園内外には人っ子一人いない。

先ほどまでの賑わいが嘘のようにこの辺りは暗く、しんと静まり返っている。

3メートル近い格子扉を両手で掴み、中の様子を窺ってみた。

所々に設置されたライトが灯るだけの園内。

誰か通りがかってくれれば、駅に確実に戻れる道ぐらい聞けるのに…。

「ま。この時間じゃ無理だよな」

諦めて自力で駅に戻ろうと踵を返した時だった。

ギャッギャッギャッ。

「!?」

突然、園内から鳥たちのけたたましい鳴き声が上がった。

尋常ではない騒ぎ方だ。

俺はまた門に向き直り、園内の奥に目を凝らした。

「………!」

(中でなにか良くないことが起きたんだ)

そう直感した次の瞬間、俺の体は高い格子扉を乗り越え、園内の奥へ向かって迷わず

駆け出していた。




鳥たちの慄きは他の鳥獣達にも伝染したかのように。

ついさっきまで夜の闇に溶け込んでいた生き物達が興奮し、蠢くの感じた。

俺自身も肌がざわめいてしかたがない。なぜそこに向かって走っているのかも分からない。

ただ、空気中に紛れるかすかな匂いが俺をその場へと招くのだ。 



断末魔にも似た人間の悲鳴に、俺は駆けつけた檻の前で声もなく立ちすくんだ。

園内のつきあたり。そこで俺が目にしたのは…。

「早く!早く救急車を呼んでくれ!!緊急事態だ!」

「腕が!俺の腕がぁ〜〜〜っ!!」

肉食獣の檻の中で血まみれの左肩を抑えてのたうち回る飼育係と、血相を変え、檻の隅で

救いを求めて携帯電話に向かって叫びつづける同僚らしき男の姿。

と、あと―――。

グルル…。

唸り声がして、檻の暗がりから明かりの下へ黒い獣が悠然と姿を見せた。

それは体長約2メートルほどの黒ヒョウ。その口には飼育係の左腕を咥えていた。

俺の背筋を、冷たいものが流れた気がした。

パニックに陥っている男達を冷ややかに眺めていたターコイズ・ブルーの双眼が不意に俺を見る。

「!」

黒ヒョウは鉄格子を隔てて立っている俺の傍までゆっくりと寄ってくると、咥えていた人の腕を

落として一際高く、長く吠えた。俺になにかを訴えるように。

「…ど、どうしたんだよ、おまえ…。こんなことしちまったらダメだろう…」

緊張に口の中はカラカラだ。

けれど黙っていられずに、俺は思わず目の前の黒ヒョウに向かって、無駄に話しかけていた。

そこへ、

「おいっ。貴様、部外者だな? どこから入った?!」

背後の声に振り返った。アクシデントを聞き、駆けつけてきた関係者達だろう。

ここにいてはまずい。

黒ヒョウのことが多少気にはなったが、ひとまず彼等から逃れる為に、俺はまた全力疾走だ。 





暗がりをものとせず走った。「待て。止まれ」と叫びながら追ってくる男達との距離は開いて。

どうやらうまく撒くことができたようだ。

正門とは反対の、茂みの中で安堵の溜息をそっとつく。

昔から俊足で、夜目もよく利くのがこんなところで役に立つとはね…。

それにしても、俺…なにしてんだろう? 早く蒼司さんに連絡とらなきゃならないのに。

と同時に、なぜかあの黒ヒョウのターコイズブルーの目が脳裏に浮かんだ。

…………。

塀沿いに植えられた木の1本によじ登り、もう一度背後を振り返った。

あのショッキングな光景がよみがえってくる。

おびただしい血液。噛みちぎられた腕。絶叫に近い悲鳴。そしてターコイズブルーの双眼。

そういった映像を振り払うように頭を振って、俺は園外へと張り出した木の枝を伝い、

アスファルトへ勢いよく飛び降りた。

その直後、である。

――― バッドタイミングというやつだ。  

急ブレーキ音に驚いて振り返った俺の視界には、眩い車のヘッドライトが差し迫っていて…。

体に衝撃を感じたあと、急速に意識を失ってしまったのだった。





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