‖ AngelMurder ‖ 




クリスマスが近づくと夜間も開放されるこの教会に、今年も赤い髪の男は姿を見せた。

静謐な空気が漂う聖堂の中。ファーのついた黒いコートに身を包んだその男が祭壇脇に置か

れた礼拝用の燭台に火を灯し、片膝をついてしばらく祈りを 捧げた後立ち上がると、突然声

が掛けられた。

「やぁ。そろそろ来る頃だと思いましたよ。お元気そうでなによりです。八神 庵さん、でしたかな」

「………」

人気はなかったハズだが…と思ったものの、驚いた様子もなく背後を振り 返ると、柔和な

笑みをたたえた牧師が立っていた。見知った顔で、ゲーニッツ という名の壮年の男である。

八神庵と呼ばれた男は唇を一文字に引き結んだまま牧師を見据えた。だが、 この感情を

消した八神の視線にたじろぐ者は少なくないというのに、この異国 の血をひいた証である

青い双眼の牧師は躊躇することもなく彼に接する。

「失われた者達も今は安らかな眠りについています。もうあなたも癒されてい いだろうと

ワタシは思うのですがね」

「……前から思っていたが、貴様何者だ?」

「ワタシですか?一介の牧師ですよ」

ハハハと笑ってみせるが八神は胡散臭そうな目を向けたままだ。

仕方なくゲーニッツ牧師は話題を変えた。

「ところで顔見知りの天使がひとりで遊びにでたきり戻らないんですが、ご存 知ありませんか?」

「…? 俺が知るわけないだろう。しかも天使だと? おかしなことを言う」

冷笑を浮かべる八神に気分を害するワケでもなく、牧師は目を伏せ、フフッ と笑んで言葉を続ける。

「はねっかえりですが極上の天使でしてね。悪魔といえどあのコに会ったら恋 をするような。

でもそろそろ戻らさないと、あのお方からお叱りを受けそうだ」

最後のセリフは独り言のように呟いたものだったが、八神は聞き逃さなかった。

「…………帰らせてもらう」

その声にゲーニッツ牧師の視線が八神に戻る。 

聖堂を出て行く八神を黙って見送っていたが、

「あなたに神の許しがあらんことを」 

その背中にかけられた言葉は聖堂内に反響し、やがて静かに余韻を残しつつ 消えた。



        



教会を出た庵の足取りは速くなっていた。

この教会を訪れる数週間前、八神は深夜の公園で自称「天使」と言いきる不 思議な

雰囲気をまとった「京」という青年を拾い、部屋に居候させていた。

牧師の不可解な言葉を聞いて突如浮かんだのは京の顔だった。

不意に沸き上がる焦りにも似た感情。

無性に彼に会って抱き締めたくなる。と同時に、彼のなにもかもを奪い尽くしたい、と

突き動かす何かがある。 だが"それ以上考えるな"と己を戒めて、庵はただひたすら帰路を急いだ。



風が止み、冷気が体に染み入るように入り込む。

雪が降るのかと思わせずにはいられない冷たい夜だった。

マンションへ帰る途中、近道をするために立ち入った公園で八神は人影を目にして立ち止まった。

冬空の下、こんな夜分に公園をうろつくモノ好きはいないだろうと思いきや、園内の中央に

ある噴水の前で、一枚の絵のように両手を広げて目を閉じ、顔を天に仰いだまま静止して

いる京の姿があったのだ。かすかに全身が青白い燐光を放っているように見えたのだが、

それは錯覚だとすぐに思い直してゆっくり近づいて行く。

気配に気づいたのか京が振り返り、庵の姿を認めると一瞬「あ」という顔をしたがすぐに

警戒心のまったくない笑顔を浮かべた。

はじめて出会った時もそうだった。無視して通り過ぎればよかったのに声を かけ、

あまつさえ正体の知れない彼を部屋に居候させて今に至っている。

この微笑みに引込まれてしまったのかもしれない。

「京、…こんな時分になにをしている?」

「雪を呼んでるんだ……って言ったらアンタ、信じる?」

京は白いダッフルコートのポケットに両手を突っ込み、わずかに自分より上背のある

庵の顔を覗き込むように首を傾げてみせた。

今更京の言動に驚く庵ではないが、ふと京の足元を見た途端、怪訝な表情になる。

「おまえ、靴はどうした?」

「靴? …ああ、落っこどしちゃったんだ」

「落っこどした?!」

さしもの庵もこれには若干声のトーンが上がる。

「細かいコトは気にしない気にしない。さ、部屋に帰ろうぜ…ッと?!」

呆れている庵の視線は気にも留めずに京は歩き出そうとしたが、腰に回された庵の腕

によってグイと背後に引き寄せられ、抱きすくめられていた。

「な…ッ、なんだ?」

「冷え切ってる」

抱き締めた京の髪に頬を擦りつけて庵が囁きかけると、もがきかけていた京が腕の中でおとなしくなる。

そして前を向いたまま片手だけを庵の頬に当てるとクスリと笑った。

「庵だって冷てーじゃん」

「俺はもともと低温体質だ」

それ以上はなにも言わなかった庵が腕を解き、京の前に背中を向けて立ったかと思うと

いきなりしゃがみ込む。 突然のことにポカンとする京を庵が肩越しに見上げて言った。

「おぶっていってやる。素足で帰るワケにもいくまい?」

「え。えーとッぉ…いいって」

思わず手を振って遠慮する京だが、

「花嫁を抱くように両手に抱えられるのと、かつがれるのとどっちがいい?」

どうやら本気らしい。

「……どうも。お世話かけます……」

「どういたしまして」

観念しておぶさる京を背に、唇の端をかすかに吊り上げて答えた庵が歩き出す。

それからしばらくして。

本当に京が呼び寄せたのかただの偶然か、つかの間 ではあったものの雪が降ったのだった。


部屋に帰ると2人はまずバスルームに直行した。お互いなんともない口振りではあったが

本当はかなり凍えていたのだ。

京に続いて長風呂していた庵がヒト心地ついてリビングに入ると、パジャマに着替えた

京がマグカップ片手に窓の外に見入っていた。

「窓の傍は冷えるぞ」

「ん」

生返事だけで窓際から離れようとしない京に、あきらめて庵は持ってきたカーディガンを

羽織らせると、その横に立って同じように外を見た。

「雪、もうやんじゃったな。ホワイトクリスマスにしたかったのに」

京が残念そうに呟いたあと、しばしの沈黙が落ちる。が、

「儚い時間だったかもしれないが聖夜に舞う雪は幻想的だったと喜んだだろうさ。

天使のつとめは果たせたと思うが?」

「…………!」

はじかれたように京が庵を見ると

「なにを驚く? おまえ自身が言ったことだろう、「自分は天使」だと」

コトもなげに言いのけて、庵も京を見下ろした。お互いの顔を凝視していた2人だが、

先に京が表情を崩す。

「言った、けど。いや、そーじゃなくて……プッ」 

「慰める」ことに慣れていないとはいえ、庵としても自分でもクサいセリフを言ったと

自覚しているらしく、苦虫をかみつぶしたような表情になっている。

そんな庵と目を合わせていた京は今ちょっと前までベソでもかきかねない顔だったのが、

いつもの笑顔に戻っていた。

「庵はやっぱり優しいよ」

「俺がか?」

思いがけないことを言われたと言った感じで肩を竦める庵の腕にフッ、と急に真顔になった京がすがる。

「庵、オレ、おまえのこと…。…ッ?」

だが、意を決して想いを伝えかけた京の唇は、庵の長い指が軽く押し当てられ、言葉を止められた。

「天使は<恋>をしてはならんと聞いたことがある。ひとりを愛することは禁忌だと。

おまえも天使ならそれは知っているだろう?」

「…………」

庵の腕を掴んでいた京の手から力が抜ける。

「聞き分けろ、京」

庵が俯く京の頬にかかる髪を指先でツンと引っ張る。

「知ってたってどうにもならない時だってあるじゃん」

消沈していく気持ちを奮い立たせようと顔を上げた京だが、自分をせつなげに見つめて

いた庵に気づき、この男もこんな表情をするのか、とハッと息を呑んだ。

「庵」
 
目の前の男に、ただただ愛しさがつのっていく―。






明かりを消した室内。

傍らで京が健康的な寝息をたてているのを背に感じながら、庵は京を想っていた。

突然降って沸いたように現れた京。


―オレ、天使だぜ。会いたかったんじゃねーの?

―おまえの傷を癒してやりたいんだ。そのままじゃ眠れないだろう?

―オレが思うに、これは<恋>ってやつらしい。

からかわれているのか、はたまたとんでもない阿呆か―?

思いもしないようなコトを真顔に口にする彼を、最初こそはそう思っていた

庵だが、気まぐれにつき合ってみて分かったのはまずその純粋さだ。無垢な

魂が宿っている彼を取り巻く空気は霊気に満ちて温かい。

そして、なによりも救いを求める声に、祈りの声に敏感なのだ。

過去に封じてきたはずの力が、本能がもう京は本物の天使だと気づいている。

なのに認めたがらない心。なぜ?!

心に浮かんでは消えるひとつの言葉を拒むように庵はギュッと目を閉じた。

 


            



天に向かって細く突出した岩山が立ち並ぶ。そこは「天の果て」と呼ばれる場所だった。

どこまでも続く荒涼たる風景。

累々と横たわる骸はそれぞれの神につき従った翼ある使徒達だ。

生命の息吹が微塵も感じられないこの果ての世界で、神々の存亡をかけた戦いがあった。

人間の生き死にを遥かに越えた永い争い。

滅んだ神、傷つき沈黙した神。気の遠くなるような時のなかで傷ついたあまたの神々は、

怨嗟の言葉を吐きながら虚空の彼方へ退いた。



そうして本来の静寂を取り戻した世界。

ひときわ切り立った岩山に、紅蓮の髪色をした男が佇んでいた。

「異端」と疎まれた神である。

戦いに終止符が打たれた今、赤い髪の間からのぞく双眼に猛々しさはなく、

ただ虚ろに己を疎んじた天を見上げていた。その背から生える青みがかった

黒翼は無残にも左の片羽がもぎとられている。

最後に殺した天使達が絶命寸前に一矢を報いたのだ。



―コレデイイ。コレデオマエ、m天ニ昇レナイ。

―天使殺シ・天使殺シタ!

―永劫ノ痛ミニ苦シムガイイ!



えぐれた傷口から流れでる血が岩を伝い落ちていく。

失血で麻痺した体を微動だにしなかった彼が声なき咆哮をあげた時、庵は背

中に触れるものを感じて目を開けた。



       



「(・・・・・・ああ。また京が触れているのか)」

いつのまにか寄り添うように横たわっている京の温かさを背中に感じて安堵する。

自分が眠ったのを見計らって京がそっと優しく、明かしていない傷を撫でて

いることに気がついた時、不審に思って眉を寄せた庵だが今は気づかぬふり

を決め込んで、京の好きなようにさせていた。

庵は京の前でシャツを脱いだことはない。シャツの下は醜くひきつれた傷と

赤黒くうっ血したままの肌がある。

強靭な精神力で耐えてはいるが、今なお癒されない深い傷だ。

天使によって負わされた傷をまた天使に癒される自分。

甦る呪いの声。

―天使殺シ・・・!

庵の心にふと魔がさした。

寝返りをうって京と向き合うとそのまま上半身を起こして京をシーツの上に縫いとめた。

眠っているとばかり思っていた庵にいきなり押え込まれて、京は戸惑った顔 をして、ただ

庵を見上げるばかりだ。

「い、庵?」

クッ、と庵が笑った。京がはじめてみる凶々しい笑み。

「おまえが触れているのは俺にくびり殺された、おまえの同胞がつけた傷だぞ。

それを癒すつもりか?」

「そうだよ」

「・・・・・・・知っていてなぜ近づく? 殺されたいか」

「だから何度も言ってる。好きになったからだよ」

「黙れ」

喉の奥から絞り出すように呟く。

「嫌だね。あんたの心に届くまで何度でも言う。愛してるから救いたいんだ」

「黙れと、言ったぞ」

「庵っ、・・・う・・・・ンッ」

それ以上何も言えないよう噛みつくように口づけながらシャツを捲り上げると剥き出し

になった赤い尖りから腹部へと荒々しい愛撫を繰り返す。

突然変貌した庵に翻弄されつつも、京に庵を押しのけようとする考えはないら しく、ただ

されるがままに行為を受け止めた。そのうち、項にうっすらと赤い花を散らしてゆく唇の

感触に目を閉じていたのにそっと庵の髪に手を差し入れて顔を引 き寄せると、京からより

深いキスをねだる。

「オレは逃げないから・・・庵。傷つけたりしないから」

「・・・・・・」

 

凍てつく夜を蕩かすような吐息がシーツの上で絡み合う。

夜明けはまだ遠い。