『ワン・アンド・オンリー』




「は? マイアミ?」
   
夜。

キッチンで洗い物を終えて一息ついていた京の体を背後から抱きすくめた庵がその耳元で囁いた。

「そうだ。明日からな…。その分今夜十分にかまってやるから早くシャワーを浴びてこい」

早くももうベッドルームでの展開を思い描いているのか楽しそうに喉の奥でクックと笑っている

庵に京はポカンとした顔で向き直る。

「そんなこと聞いてねーぞ、おい?」

今度は庵がナヌ?と片眉をわずかに上げて京の目を覗き込んだ。

「言っただろうが」

「いつ?」

「一昨日の夜」

「…そうだっけ?」

「ベッドの中で」

「…………」

みるみるまに京の顔に朱がまじる。

「あ、あんな状況の中で話なんぞ聞いてられるかッ!」

「そんなにアレがよかったか?」

「わ〜〜っ、わ〜〜っそれはもう言うな〜〜」

ほおっておくと続けてなにを言いだすか分からないその口を塞ごうとして京が手を伸ばすと、

そんな京の反応に庵が可愛いぞといわんばかりに体をギュギュっと抱き締めてきた。

庵に押されるままシンクに腰を凭れさせて京もその背に手を回してしばし抱擁につき合う。

そうしていると腕を解かぬまま庵が名を呼んだ。

「京」

「あん?」

「すっかりエプロン姿が板についてきたな」

「そう? それが?」

「ソソられてるんだが…ここで襲ってもいいか?」

「…おいおい。からかうな……ってちょっと!」

エプロンをくぐった悪戯な手がジーンズの上から下肢をなぞるように這うのを笑ってあしらおう

とした京だが、いきなりグッと急所を掴まれて思わず前のめりになった。

「ダメだ庵…手ェ離せって。ホラ、シャワー浴びてこいって言ったばっかりだろ? 

部屋で待ってろ、部屋で」


「気が変わった」

「ああっ?! アホーッ! こんなところでしちゃったら明日メシ作る時に思い出しちゃう

じゃん!」


ジーンズを脱がしにかかっている庵の頭を加減気味に叩くがおかまいなしだ。逆に

「可愛いことを言う」

などど言われて笑われる始末。

「あ……よせって…んん…」

布越しですら強く感じる庵の指に否応なく欲望を煽られそうになった時、救いの手は差し伸べ

られた。


コンコンコンコンっと、回数多めに壁をノックさせて緋々稀がキッチンの入り口に立っていた。

ちょっと目のやり場に困ったように視線を反らして。

「ちょっといいかな?」

「ひびき! あ、あれ…寝たんじゃなかったっけ……?」

「うん…でも明日までに提出しなきゃならない書類があったの思い出して…

キョウまだ起きてるかな〜っと思って来たら、さ…」

チラッと横目に京と庵を見てすぐまた目を反らし、緋々稀はハハハと乾いた笑いを洩らした。

京はそら見ろ! 緋々稀に見られちまったろーが! というヒナンの目をキッと庵に向けたが、

如何なる時もマイペースな男である。

腕の中から逃れようと身じろいだ京を牽制するようにジーンズの中に差し入れていた指先に力

を入れた。


それでうっ、とうめいて京が動きを止めると、

庵はその場から立ち去ろうとしない背後の緋々稀をチラリとかえり見て。

「なんだ、緋々稀? 今スキンシップの最中なんだが、まざりたいのか?」

「……」

タチの悪い問いかけに鼓動が跳ね上がった緋々稀だがそれは一瞬のこと。

「……いいよ、やめとく」
 
ただ溜め息をつくように短く答えて踵を返した。

それを見た京が慌てて声をかける。

「ひ…緋々稀、書類明日提出なんだろ? オレ書いてやるから…なっ?」

「…………(京…)」

"だからこの状況から救ってくれ"というサインだというのは察した緋々稀だが、明日から機嫌

良く庵に出掛けてもらう為にも今夜はココロを鬼にした。

そうしたらあとしばらくは京と2人っきりで過ごせるのだ。(夜這いする気はないぞ。)

「いや、やっぱり今夜はもう遅いしさ、オレが思うに絶対明日出さなきゃダメってほどの内容

じゃないからいいや。それに俺もう寝ないと」

肩越しに振り返ってぎこちなくではあるが優しく笑んでやると京の目に失望の色が浮かんだ。



―ごめんよ、キョウ。



「緋々稀」

胸にちいさな痛みを覚えながらもその場を離れようとすると今度は庵が呼び止めた。

「なに?」

「今夜は冷え込みそうだ。暖かくして寝ろ」

「…そうだね。だからイオリもキョウもいつまでもこんなところにいないで、早く寝室に行き

なよね。イオリも出掛ける前に体調崩したら困るだろ?」

せめてもの助け船をだしたつもりだったのだが、

「フッ。こいつもオレもそんなヤワではないんでな。心配無用だ。なぁ、京?」

「…もう好きにしてください、ハイ…」

「…………」

所詮庵の前には通じなかったようだった。



その夜から2日経った本日、日曜日。

秋晴れの気持ち良い日で外出するにはもってこいの日にもかかわらず、八神さんちの愛息子は

体調不良で寝込んでいた。


―せっかく京と2人っきりのハッピーデートができると思ったのに。結局こんなことになるん

なら、あの時もっと邪魔してやるべきだったなぁ…

ベッドの中で、今朝から何十回目の溜め息をつく。

昨日までなんの前兆もなかったはずなのがこうもいきなり高熱にみまわれるあたり、息子が京

に恋慕の情を寄せていることを知る父・庵の呪いとしか思えない。

そう。ともかく庵はただいま日本不在だ。

  

コンコン。

弱めにドアがノックされ京が盆片手に入ってきた。
 
「緋々稀、具合のほうはどうだ?」

「ん。良くもないけど悪くもない…ってトコ」

「そっか。リンゴ持ってきたんだけど食べるか?」

「食べる」

むっくりとベッドの上に体を起こした緋々稀に、ウサギの耳にカットしたリンゴがのった皿を

手渡す。てんこ盛りのやや不格好なウサ耳リンゴにうっかり笑んでしまうと

「笑うなよ」

メッ、という感じで、頭をひとさし指でツンと突つかれた。

「違うって。キョウがわざわざこんな凝ったことしてくれたのが嬉しかったんだってば」

「あ、そういうコトか。まぁ、こういうのは庵のほうが器用なんだけど、あいつはマイアミの

空の下だからなぁ。あっちは今何時頃なんだろうな」

「…やっぱり寂しいんだ?」

ベッドの端に腰掛けてボンヤリと窓の外に目をやる京の横顔になんとなくそんなことを尋ねる

と、振り向いた京が一転、ニッと笑って言った。

「なんで? 緋々稀がいるじゃん」

「………」

トクンと胸が高鳴る。

緋々稀が恋心を抱くきっかけになったあの日の笑顔が今またここにある。

「やばいな…また熱があがってきたみたいだ」

膝の上のリンゴに視線を落としながら苦笑する緋々稀。

するとその呟きを耳にした京が無造作に、え、どれどれ?といきなり前髪をかきあげて額を合

わせてきた。


「キ、キョウ……っ!!」

「んー…たしかに熱いなー」

緋々稀のうろたえなど気にせずそのままじっと目を閉じて熱を計っている。

少し角度を変えればキスできそうな距離に緋々稀は目眩を覚えた。



―して、しまおうか……?こんなチャンスはそうそうない。いや、もうナイかも…。



そんなフラチな思いに駆られる自分をたしなめるかのように、その時庵の琥珀色の目が脳裏に

閃いた。




―………。



遠く離れていてもその存在はガッシリと愛する京をガードしているようだ。

父、偉大なり。



「キョウ、その…もういいから……。ひと寝入りすれば…きっとさが、るよ」

自分が動けばすむことだが、予期しない京の行動に体が緊張して動けない。

かたやうわずり気味に言う緋々稀の様子を不審がることなく身を離した京は、緋々稀の上の皿

をどけると、その体をそっと押して横たえさせた。 顎のすぐ下まで毛布を引き上げてやり、

もう一度顔を覗き込む。


「そうだな。こういう時はとにかく寝るのがいい。それでもダメならあとで草薙家秘伝の

妙薬飲ませてやるから」

ただしメッチャクチャ苦いんだ、ソレ…と付け加えてシシシと笑う。

「草薙家の…? ああ」 

庵からずっと以前、一度聞いたことがある。

草薙家が代々伝えるその薬は、この世のなにを使えばこんな味になるのかと思わずにはいられ

ないシロモノだと。あの庵がげんなりした顔で言うぐらいだから、その苦さはハンパではない

のだろう。


「なにがなんでもそれまでに熱さげるよ。苦いのはヤダ」

「ふふん。まぁガンバんな。んじゃ、おやすみ」

「………!」

赤い前髪からのぞく額に京は掠めるようなキスをして立ち上がると、目を真ん丸くした緋々稀を

そのままに、傍らに置いてあった皿を盆にのせて部屋を出ていこうとした。

「あ、キョウ」

食べられることのなかったリンゴをひとつ口にほおり込んだ京に我に返った緋々稀が声をかけて

「オレにもひとつ頂戴」

と言うと、皿の上でイチバン大きなウサ耳リンゴをハイヨと渡して出ていった。




頼りなげな秋の日が射し込む中で横になったままそのリンゴを目の前にかざしてみる。

それ自体大きいが耳の部分もやけに大きかった。

京の苦心が現れているようでやはりホホ笑まずにはいられない。



―大好きだよ。この世でたったひとつの・・・・・。



赤い色が綺麗なそれに京の唇を思い出して緋々稀はそっと口づけた。




この熱にはどんな万能薬も効きそうにない。

だからせめて我が家の麗しき独裁者が帰ってくるまでぐらい京を一人占めして、たっぷり甘えて

症状を和らげてもらうのだと、緋々稀はひっそり心に決めた。

                                                                  

   
                      終わる。


   (注:息子、ライバル心はもってますが、父もちゃんと敬愛してるのよん☆)





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